【おススメ書籍】必読!放送の“闇”と“歪み”を暴く一冊――『音と光の世紀 テレビ・ラジオの100年史』

原真氏の『音と光の世紀 テレビ・ラジオの100年史』を読んだ。
原真氏は、共同通信社で文化部、ニューヨーク支局の記者、富山支局長、編集委員兼論説委員などを歴任し、今年3月に共同通信社を退職し、フリーの記者に転じる予定だという。

正直、放送業界出身ではないジャーナリストや批評家が放送を語ることには、どこか嫌悪感があった。これまで業界の外側から語られてきた放送論の多くが、いかに浅いかを身に染みて知っているからだ。
しかし本書は、その固定観念を見事に覆した。はっきり言って、“読むべき”一冊だ。
放送の外側にいながら、これほど深く切り込める人間がいるという事実に驚いた。

放送の歴史を“繊細”かつ“鮮明”に描きながら、煽りも誇張もせず、事実だけを静かに積み重ねていく筆致。派手な批評ほど中身がないという当たり前の現実を、改めて突き付けられた思いだ。
抑制の効いた文章だからこそ、逆に放送の黎明期が異様なほどドラマチックに立ち上がってくる。
ラジオニュースは、出資していた新聞社や通信社が“無償提供”していたにもかかわらず、ラジオ側には自前の取材体制は組ませなかった。情報の川上は絶対に渡さない――そういう露骨な力学が働いていたのだ。既得権の論理は時代を越えて同じ形を取る。いまでは、配信の場で金儲けをしているテレビ局が、配信が台頭してきた当初は“敵対視”していたあの構図と痛いほど重なる。

戦時中の通信省や内閣情報局の検閲、敗戦後のGHQによる検閲。その重圧の下でメディアが生き延びてきた歴史を辿ると、表現の自由とは、歴史の前ではあっけなく折れる細い枝のようなものだとわかる。
だからこそ、現在の総務省からの干渉にメディアが“順応してしまう”体質にも妙な説得力が出てくる。揺らいでいるのは放送そのものではなく、放送に寄りかかってきた“古びた仕組み”の方だ。

従来バラバラだった番組の長さを、GHQが「定時に始まり、定時に終わる」ことを徹底させたことで生まれた“タイムテーブル文化”。
放送の“規律”は、自由からではなく、強制から始まっている。この視点は盲点だった。放送が人々の生活リズムそのものを作り上げてきた、という事実の裏側には、外側から与えられた秩序があったのだ。

原氏は本書で、現行制度の構造的問題を指摘する。
その論拠として示される史実が鋭い。日本国憲法公布翌年の1947年、GHQは放送監督機関を政府から独立させようとした。だが実現しなかった。それは、当時の首相、吉田茂氏が反対したからだと原氏は述べている。意思決定がゆがむ瞬間は、歴史の中に埋め込まれるものなのだ。
日本の放送制度の歪みは戦後に始まったのではない。むしろ、“戦後”というタガが外されたときに仕込まれたのだと痛感した。

帯にある「知られざる人間ドラマ」という言葉は誇張ではない。
読めば、人間の欲と業、政治の思惑、メディアの逡巡が折り重なり、100年にわたって制度の形を微妙にねじ曲げ続けてきた事実が浮かび上がる。
これは、放送の100年史というより“放送に関わる人間の100年史”だ。制度、技術、戦争、占領、政治、そして個々の人間。積み重なった層の全てが、現在の放送行政と業界の奇妙な現実につながっている。
当たり前に見えるものほど、当たり前ではない。
むしろ、問い直されるべき点の方が多い。歴史はいつも、気づかないふりをした人間から切り捨てていく。放送も同じだ。変える気のない者から、時代に置いていかれる。
そして読みながら思った。
歴史に学ぶという穏当な態度だけでは足りない。
歴史を都合よく踏襲してきた“構造の方”こそ、問い直されるべきだと。

いま問われているのは、制度の覚悟ではない。
私たち側の覚悟だ。

「集英社」HPより

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です