【今日のタブチ】「わかっているのに、やめられない」――ウクライナ侵攻4年、“戦争の魔力”について考える

明日24日で、ロシアによるウクライナ侵攻から4年
4年という時間は、地図には残らなくても、人々の暮らしの深いところを確実に削っていく。

新聞で目にしたクリミア半島出身の男性の言葉が忘れられない。
「ウクライナでは男性が長く兵役に就き、限界に近い。早く戦争を止めないと国がなくなる」
彼の言葉には誇張がない。国連の報告でも、2025年の民間人の死傷が前年より31%増えたという数字が示されている。
さらに、前線では短距離ドローン攻撃の被害が急増しているとされる。
“限界”という言葉は、もう比喩の域ではない。

だが同じ国の首都キーウで、IT技術者はこうつぶやく。
「今ここで止めたら、この4年は何のためだったのか」
疲れ切りながらも、前に進むしかないと自分に言い聞かせるような声だ。

この二つの言葉は、一見すると正反対に聞こえる。
しかし私は、どちらも“生きてきた時間”の重さから生まれた声だと思っている。
「もう続けられない」という思いも、
「ここで止まれない」という思いも、
どちらも市井の人が抱えてしまう、ごく自然な感情だ。

そして、この“止められない感覚”は、市民だけではなく、リーダーたちにも同じようにのしかかる。
戦争が長引くほど、過去の犠牲が「後戻りを許さない鎖」のようになり、決断を縛る
「ここで引けば、これまでの犠牲はどうなる」
その問いが、まともな判断を曇らせていく。

人の心は、損を恐れる。得よりも損のほうを強く感じてしまう
だから、やめる決断が必要な場面でも、「やめることで生じる損」のほうが先に浮かんでしまい、つい継続に傾く。
私はそこに、“戦争の魔力”とでも呼ぶしかない力を感じる。
いま、止めたらこれまでの苦労が水の泡だ!そう耳元でささやく悪魔がいる。

では、この流れに抗う方法は本当にないのか。
もちろん、ナッジ(何かのアクションへの背中を押す)理論のような小さな工夫で戦争が止まるわけではない。
ただ、人が“惰性”に流されてしまうのなら、その惰性を“止める方向”にも向けられないか、という小さな視点は持ってもいいと思う。

たとえば、
・人道休戦を“反対がなければ続く仕組み”にするデフォルト設計
いわば「休戦がふつう」の状態にしておき、やめたいときだけ明示的に行動を必要とする枠組みだ。デフォルトの力が大きいことは、多くの政策で確認されている。

あるいは、
・“停戦=譲歩”ではなく、“継戦が生む確実な損”を見える形にする
人は“確実な損”を嫌う。戦争を続けることがこんなに損なんだということを数値化するのだ。数字と時間の流れで示すことで、視点が少しだけ変わるかもしれない。

もちろん、これらは「魔法の杖」とは程遠い。
それでも、市井の人を守るための選択を、ほんのわずかでも後押しする仕組みがあってもいいのではないか。
戦争が続くことが“自然”になってしまう前に。

4年。
クリミア出身の男性の「国がなくなる」という言葉も、
IT技術者の「4年は何だったのか」という声も、
どちらも重い。

そして私は思う。
戦争を続ける勇気より、戦争をやめる勇気のほうが、よほど難しいのではないか。

その難しさを直視しないかぎり、“戦争の魔力”は静かに、人の判断を奪っていく。
だから今日は、この“やめられない構造”について考えたことを書き残しておきたい。

「NHK ONE」より

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