【今日のタブチ】「加害者が作ったもの」を拒む社会――女子少年院のレース編みが突きつける“不寛容”の正体

東京都狛江市にある女子少年院「愛光女子学園」の少女たちが編んだレースが、アパレル企業のバッグや帽子を彩っているという記事を読んだ。社会復帰を後押しする取り組みだという。
素晴らしいと思った。
何よりも、自分が作ったものが世に出るという“経験”は、少女たちの未来に大きな自信となると思うからだ。
私も大学を出てテレビ局に入り、初めて自分の名前がエンドクレジットに載ったとき、「この作品が世に出て、多くの人たちに観てもらえるんだ」という喜びとともに、緊張感責任感を実感した覚えがある。“経験”という自信は自己肯定感にもつながり、更生の後押しとなるに違いない。

しかし、そんな素晴らしい取り組みに対しても、心無いことを思ったり言ったりする人がいるものだ。
数年前に少年院とアパレル企業の協働が始まるとき、法務省内では「レースを編んで、非行少年が立ち直るのか」という意見があったという。またアパレル企業の社内でも、「加害者が作った商品を販売していいのか」という声が挙がった。
不寛容かつ、偏見に満ちている。

なぜ人は「加害者が作ったもの」を、これほどまでに忌避するのだろうか。
「被害者感情」という言葉を、議論を止めるための免罪符として使ってはいないだろうか。「更生するかどうかわからないから機会を与えない」という発想そのものが、更生を不可能にしている。
更生を否定する社会は、結局いったい誰を守っているのだろうか。

そもそも、レース編みは根気のいる作業だ。地道に集中力をもってやり遂げたとき、大きな達成感につながる。いいところに目をつけたなと感心する。
少女たちの声のなかには「貢献できることが嬉しいし、自信になる」「私たちに目を向けて、社会につなげようとしている人がたくさんいることを実感した」というものもあった。
これまで“人の役に立つ”ことなどなかったかもしれない少女たち。目を向けてもらえることも少なかったかもしれない。
しかし、人は誰でも失敗をする。失敗したときに、自分を、そして周りの人を信じることができれば、きっと立ち直ることができるはずだ。

少女たちのレース編みの商品をいつか手に取ってみたい。週の頭に、大きな勇気をもらった気がする。
さあ、新学期が始まる!がんばるぞ!!

「読売新聞オンライン」より

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