【今日のタブチ】「最後の秘境」フィリピン・パラワン島の自然破壊に無関係ではない私たちの生活~「誰かの犠牲」の上にある「幸せ」の意味

「最後の秘境」と呼ばれるフィリピンパラワン島。その生態系を守るために活動しているロバート・〝ボビー〟・チャン氏の記事を読んだ。チャン氏は「パラワンNGOネットワーク(PNNI)」の代表であり弁護士でもある。現地では、政治権力との癒着が疑われる違法な森林伐採やダイナマイト漁がおこなわれている。
アジアの発展途上地域で辺境の地。そんな土地であることや、伐採者らは銃で武装し、有力な政治家や実業家と結びついていると聞くと、「日本とは関係ない」と思いがちだ。しかも、そういった違法行為を止めようと活動して殺されることも多い。そんな命がけの状況は、「日本とかけ離れた世界」のこととして、実感がわかない人がほとんどだろう。
しかし、「無関心」というのが一番良くない。パラワン島の自然破壊と日本は無関係ではない。島では、1960年代に日系企業が鉱山開発を開始した。現在は、住友金属鉱山株式会社が、パラワン島南部のリオツバ・ニッケル鉱山およびコーラルベイ製錬所の主要な出資者として、2005年から操業を続けている。そして、その鉱石は日本に輸出されている。環境団体は鉱山開発に伴う水質汚染を指摘している。
採掘されたニッケルは、日本国内でリチウムイオン電池の材料として加工され、私たち文明国の人間が乗る電気自動車(EV)やスマホなどの電子機器に使用されている
鉱山以外にも、「パラワン島の自然破壊と日本は無関係ではない」ことを表す例はある。パラワン島ではアブラヤシやココヤシ、ゴムなどの単一栽培プランテーションが天然林を侵食している。これらの作物は、日本向けの食品・化粧品・ゴム製品の原料として輸出されており、日本での消費が森林伐採の一因となっている。
環境破壊をなくすために私たちの生活を原始的なものに戻すかというと、それは現実的ではないだろう。しかし、大事なのは、私たちの〝豊かで〟〝便利な〟生活は、何かを犠牲にして実現されていることを忘れないことだ。いまの「幸せ」は誰かの犠牲の上に成り立っているということをいつも考えられるようでありたい。そうすれば、「必要以上の消費」や「無駄」は防げるのではないか。

押収したチェーンソーのわきに立つチャン氏©Thom Pierce
「東京新聞TOKYOWeb」より

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