【今日のタブチ】「死にたい」と若者が相談する相手がAIという現実――ショックを受けた私が見落としていたもの
「しんどさ」や「消えたい」「死にたい」といった気持ちを抱える子ども・若者へのアンケートで、小中高生の約5割が相談相手として生成AIを選んだという結果が出た。
家族や先生など身近な大人を選んだのは14%。友達は19%。
高校生世代の回答(219件)のうち、「チャットGPTなどのAIに相談した」頻度が「ほぼ毎日」と答えた割合は29%に上る。
調査はNPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」がウェブで実施(2月3日〜16日)。全回答2247件のうち、1215件は18歳以下だった。
子どもは、人に相談すると否定されたり、理解されなかったりした経験を重ねて、「AIのほうが話しやすい」と思うようになっているのではないか――そんな分析が専門家から示されている。
私はこの数字を見て、まずショックを受けた。
大人への相談があまりにも少ない。だが、次の瞬間に気がついた。
――そんなショックを受けている時点で、感覚がズレている。
問題は「子どもが相談してこない」ことではない。
相談相手として大人が機能していないことのほうだ。
子どもにとって、相談は“会話”ではない。問題処理だ。
否定されない。遮られない。必要なら次の行き先が示される。
だが大人は「そんなことないんじゃない」「なんでそんなことを思うの?」と来る。そこで話は止まる。
しかし、AIは断らない。否定しない。遮らない。深夜でも同じテンションで応じる。余計な比較も説教も挟まない。
人に相談するリスク――怒られる、軽く扱われる、話を奪われる、秘密が保てない――を避けられる。
だから子どもたちはAIに向かう。
子どもたちがAIを相談先に選ぶ現実を見たとき、私の頭に浮かんだのは「AIへの依存はどこまで許容されるのか」という問題だった。
少し前まで、大学のレポートでAIを使うのは“ずる”という風潮があった。いまは違う。
AI検索の丸写しはダメ。思考の丸投げもダメ。だが、どの部分に、どのAIを、どんな目的で使ったのかを明記し、限界を検証し、自分の言葉で再構成できているなら、私は期末レポートでも使用を求めている。
使い方を隠さず、透明化すること自体が学びになる。だから大学のシラバスにもそう書いている。
そもそも「依存」という言葉の発想が古いのかもしれない。AIに判断を任せ、思考を手放すのは依存だ。だが、AIを使いながら最終判断を手放さないなら、それは「活用」だ。
決めるのは自分自身。線引きはそこにある。
相談の話も同じだ。
AIを排除するのではなく、どう使わせるかの設計に大人が責任を持つべきだ。
子どもたちが安全にAIを使える“道筋”を作る。それが大人の役目。
例えば、匿名で始められる導線を確保する。緊急時のエスカレーションや専門家への接続を明文化する。記録と守秘の扱いを決めておく。
学校や家庭の“正しさ”に子どもを合わせさせるのではなく、子どもが安全に降りられる段差を大人が作る。
「身近な大人に相談しろ」という常套句に、私は以前から違和感があった。正しいように見えて、苦しい側に無理を強いるからだ。
無理に大人に相談しなくていい。どんどんAIに相談すればいい。まず否定されない場所に声を落とし、そのあと必要な支援に静かにつなぐ。私たち大人の仕事は、そこにある。
子どもはすでにAI前提の世界を生きている。
遅れているのは子どもではない。大人の価値観のほうだ。
「家族や先生など身近な大人を選んだのは14%」という数字にショックを受けている場合ではない。
いま、更新すべきは私たち大人の脳みそのほうだ。
「「ものづくり」備忘録?Propman MEMO」HPより


