【今日のタブチ】「10円ジュース」に心躍らせた子どものころの“あったらいいな”発明――なぜ“生活の匂い”がする発明は生まれなくなったのか?
今日は何の日――そんな東京新聞の1面に、こんな記述があった。
松下電気器具製作所創業。1918年のこの日、松下幸之助が23歳で創業し、最初の商品は電化製品のコードを電灯ソケットにつなぐための接続器具「アタッチメントプラグ」だったという。このアタッチメントプラグ、子ども心に覚えているなぁ……黒い電灯のソケットの側面に電源の差込口があるやつだ。懐かしい。この発想力、すごいなぁといまでも思う。
そして「筆洗」に目を移せば、1957年に愛知の星崎電機(現・ホシザキ)が世に送り出したジュース自販機の逸話が載っていた。10円硬貨を入れると紙コップにジュースが出てくる、あの「10円ジュース」だ。これも懐かしい。創業者の坂本薫俊氏がアメリカで見たボタンを押すと水が出る冷水機をヒントに開発したというが、これまた子どもの頃の記憶に鮮明に残っている。自販機の上に透明なタンクがあって、オレンジジュースとかがぐるぐる回っていた。デパートの屋上の遊具広場によくあって、「特別なご馳走」みたいに見えて憧れだった。
思えば、あの頃の“発明”って、誰かが豊かに暮らせるようにという視点がちゃんとあった。アタッチメントプラグだって、まだ電源が家中にない時代の暮らしに寄り添う工夫だし、ホシザキのジュース自販機も、ちょっとした驚きや楽しさをどう生活の中に持ち込むかという発想が出発点になっている。生活者の小さな“不便”や“願い”が、そのまま発明の原動力になっていた。
ところが今の時代、目につく新しい技術の多くが、どう見ても生活改善より“金儲けの匂い”を先に放っている。「ユーザーのため」と言いつつ、実際は企業側の収益構造の再設計だったり、サブスク化や囲い込みのための仕掛けばかりが前面に出ている。発明というより、収益モデルの方が発明されている感じすらある。
要するに、「あったらいいな」じゃなくて、「あったら売れる」になってしまったのだと思う。生活者の欲求ではなく、市場の期待値。暮らしの中の痛点ではなく、投資家向けのプレゼン。発明の順序がすっかり逆転してしまった。
もちろん、技術が進歩すること自体は喜ばしい。でも、“生活の匂い”がする発想が減ってしまったいま、昔の小さな発明がやけに眩しく感じられる。デパートの屋上で10円ジュースを見上げていたあの頃、透明タンクのオレンジ色が回っているだけで、世界が少し広くなった気がした。そこに資本の論理なんて一滴もなかった。ただ「こんな機械を作った人はすごいな」という、まっすぐな驚きだけがあった。
いま必要なのは、巨大なビジョンでも、高度なAI戦略でもなく、生活の手触りから立ち上がる、あの頃のような実直な発明なんじゃないか。原点は案外、子どもの頃のああいう小さな感動の中にあるのだと思う。
「株式会社 猿江ガラス」HPより


