【今日のタブチ】なぜアマゾン「ヤドクガエル」の毒だったのか――バレてもいい、ナワリヌイ氏暗殺の正体

私は、この国際ニュースを見たとき、まず「なぜ毒ガエルなのか」と思った。
南米のジャングルにいるポイズン・ダート・フロッグ(日本名:ヤドクガエル)。その皮膚に含まれる神経毒エピバチジンが、ロシアの反体制派ナワリヌイ氏から検出されたという欧州5カ国の発表を読んだ瞬間、単なる毒殺ではない何かがあると感じた。
毒を使って殺す方法など、いくらでもある。発見されにくい化学物質はいくらでもあるし、自然死に見せかけるルートはいくつも存在する。それでも、わざわざ“ロシアには存在しない南米の毒ガエルの神経毒”を選ぶというのは、あまりにも特殊すぎる。

私はアマゾンのジャングルで毒ガエルを発見し、あまりの美しさに見とれているとガイドに「触るな!」と怒鳴られた経験があるが、実際には触っただけで毒が体内に入るわけではない。自然界の毒というのは、意外なほど“扱いにくい”。皮膚の表面に毒があろうと、吸収される経路がなければ危険性は低いし、ただ触れただけで人間が倒れるわけでもない。だからこそ今回の“エピバチジン”は不気味だった。
自然界からそのまま採取した毒ではなく、研究所で精製され、暗殺に最適化された“国家レベルの毒”が使われたという意味になるからだ。
エピバチジンはモルヒネの200倍の作用を持つ凶悪な物質だと欧州側は指摘している。 微量で呼吸を奪う。誰がどう見ても素人の犯行ではなく、国家レベルでしか扱えない毒物だ。
つまり、これは「隠したい暗殺」ではなく、「バレても構わない暗殺」だ。むしろ、「バレること」さえ暗殺の一部になっている。欧州5カ国は「ロシアにはこの毒を作る手段・動機・機会があった」と明確に言っている。 もし隠蔽が目的なら、もっと自然死に見せかけやすい毒を使えばよかった。ところが選ばれたのは“ロシア国内では絶対に自然に出現しない毒”。特定されれば、国家関与以外の可能性がほぼゼロになるタイプの毒だ。
この一点だけでも、私は“見せしめ”という言葉が頭をよぎる。「やるときはやる」「反抗すればこうなる」「世界がどう反応しようが関係ない」。そんな無言のメッセージ性が、この毒そのものに埋め込まれているように感じた。
国際社会も、その“演出”に巻き込まれた形になっている。ナワリヌイ氏の死は2024年に発表されていたが、当時は自然死と説明されていた。 それが欧州の最新解析でひっくり返され、しかもミュンヘン安全保障会議のタイミングで発表された。毒殺疑惑の事実が最も注目されやすい国際舞台で明らかになるという皮肉。だがそのタイミングでさえ、ロシア側は痛くも痒くもない様子で、否定する以外の態度を取っていない。

私は、毒という存在そのものが「メッセージ」になる瞬間を見た気がした。
暗殺は“密やかに行われるもの”という一般的なイメージがあるが、今回は逆だ。バレるほど強烈な毒を使い、国家でなければ扱えない物質を使い、政治的意味を帯びた毒をわざわざ選んでいる。「どうせお前たちは何もできない」。そんな冷たい圧力が透けて見える。欧州5カ国の分析が発表されても、ロシアの態度は変わらない。それがまた、権力の残酷さを強調している。
毒を選ぶという行為には、必ず意図がある。効率なのか、隠蔽なのか、復讐なのか、メッセージなのか。今回使われた毒ガエル由来のエピバチジンは、“隠蔽”とは正反対の方向にある毒だ。希少で、強烈で、国家の関与をほぼ確定させる毒。これは実行者が「誰がやったか」を隠す気がなかったという証拠であり、むしろ“わからせたい”という凶暴な意思が透ける。

私は、この事件を単なる毒殺事件として見ることができない。
毒そのものが政治の言語になり、毒の選択がメッセージになっている。
権力が反対する者に向けて発する“沈黙の圧力”。その象徴が、この毒ガエルの毒だったのではないかと思えてならない。

「GAMEREACTOR」HPより

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です