【今日のタブチ】アジアの現場で「これは拷問だ」と言われて気がついた──桜美林大学・田淵ゼミ卒業生が獲得した「5,000人に一人」の在留資格から見える、日本で運転手の“尊厳”が守られない理由

海外ロケに頻繁に出ていた頃、中国やアジアの撮影現場で、何度も不思議な感覚を味わったことがある。ロケの運転手が、こちらにへいこらしない。横柄というわけでもないが、妙に堂々としている。日本の感覚でいう「下請け」「現場要員」とは、明らかに立ち位置が違う。

ある中国ロケのとき、撮影が押し、昼食の時間を過ぎたまま移動を続けることになった。日本の現場では珍しくない。温かい昼食をゆっくり食べられる撮影など、むしろ例外だ。ところが、そのときロケ車両の運転手が珍しく強い口調で抗議した。

「これは拷問と同じだ」

一瞬、耳を疑った。こちらは撮影優先で動いている。悪気はない。だが彼は本気で怒っていた。声を荒げ、明確に「拒否」の意思を示した。その態度には、卑屈さも、遠慮もなかった。

あとになって分かったが、あれは単なる不満ではなかった。彼にとっては「尊厳を踏みにじられた」という感覚に近かったのだと思う。
それ以来、食事の場では、ドライバースタッフとも席を共にし、スケジュールについても、こちらで一方的に決めるのではなく、まず相談するようにした。すると、仕事への向き合い方が、それまでとは明らかに違って見えるようになった。

中国やアジアの発展途上国では、「人を運ぶ運転手」という仕事の意味が、日本とは大きく違う。特に国家機関や企業、撮影隊のような公的性格を帯びた現場では、車は希少な資源であり、その運転を任されるということ自体が「信頼の証」だった。人を運ぶことは、モノを運ぶこととは違う。人の身体と時間、安全を預かる。その責任は、職能としても、社会的にも、重く扱われる。
だから、空腹のまま長時間ハンドルを握らせることは、「無理をさせられた」では済まない。「人として軽く扱われた」という怒りにつながる。中国の運転手のプライドの高さは、個人の性格ではなく、そうした社会の前提から来ていた。

翻って、日本はどうか。
バスも、タクシーも、トラックも、運転手が足りないと言われ続けている。人が集まらない、若手が来ない、高齢化が進む。だが、それを単なる人口構造の問題として片づけてきた結果が、今の現実ではないか。
長時間労働。交代前提の過密ダイヤ。後回しにされる休憩や食事。運転という高度な集中力と責任を要する仕事を、「誰でもできる労働」としてしか扱ってこなかったツケが、そのまま人材不足として表面化しているように見える。

最近になって、東京都がようやく運転手確保に本腰を入れたというニュースが出た。
処遇改善、採用支援、制度整備。どれも必要だ。ただ、率直に言えば、「やっとか」という感は拭えない。問題が限界まで顕在化してから、ようやく動く。その繰り返しを、いくつ見てきたことか。
その一方で、人が集まらなくなった現場に、いま急速に外国人運転者が入ってきている。
全国の運輸業界で、その流れは止まらない。東急バスでは、専門性のある外国人が就労できる在留資格「特定技能」の枠から、日本初となる女性バス運転手が誕生した。インドネシア出身のマハトミ・リスマルタンティ氏だという。

このニュースを見て、正直に思った。「え、今までいなかったの?」と。

外国人も、女性も、運転のプロとして存在していて当たり前なのに、日本ではそれが長い間「例外」だった。人手が足りなくなってから、ようやく門戸を開く。その遅さに、どこか日本社会の鈍さを見る。

だが、問題はここからだ。

人が足りない、外国人に来てもらわなければ回らない、と言いながら、日本の制度は本気で「人を受け入れる側」に立っているのか。私は、教育現場にいる立場として、どうしてもそこに疑問を感じる。
そんな疑問を強くしたのは、ちょうど最近、嬉しい知らせが届いたからだ。

本学・桜美林大学の田淵ゼミをこの3月に卒業した留学生の一人は、卒業直後に在留資格「芸術」を取得し、日本の映画制作会社で助監督としてキャリアをスタートさせることになった。私は教員として、彼の在留資格申請に際し、推薦状を書く立場にあり、その挑戦を応援していた。
ただし、在留資格「芸術」は、教員の推薦があれば通るような制度ではない。就労系在留資格の中でも取得が極めて難しく、全国でもごく少数しか認められていない資格だ。
出入国在留管理庁の統計によれば、2024年末時点で在留資格「芸術」によって日本に在留している外国人は669人にとどまる。同時点における在留外国人の総数は約377万人であり、「芸術」は全在留外国人の約0.02%、およそ1万人に2人という極めて例外的な在留資格である。一般的な就労系在留資格である「技術・人文知識・国際業務」が40万人を超える規模で存在していることと比べても、その希少性は際立っている。大学を卒業したばかりの留学生が、この資格を得るのは例外中の例外と言っていい。

これは本人の努力と才能の結果であると同時に、日本の制度がいかに「高いハードル」を課しているかを示す事例でもある。ここまでの実績と計画を示さなければ、「働くことすら許されない」という現実がある。

その一方で、外国人を受け入れる施策を巡っては、厳罰化や規制強化、さらには在留許可に関する手数料の上限額を大幅に引き上げる動きまで出てきている。人手不足を嘆きながら、来るための負担は重くする。この矛盾を、どれだけの人が自覚しているだろう。

人を必要としている。だが、人として敬っているかは別だ。

中国で「これは拷問だ」と怒った運転手の顔を、私はいまでも思い出す。あの怒りの根底には、「自分の仕事と存在を軽く見るな」という強いメッセージがあった。人を運ぶ仕事は、消耗品ではない。専門性と誇りを持った職能だ。

日本が本当に人手不足から抜け出したいのなら、制度や数の話の前に、まずそこから考え直す必要があるのではないか。

新疆ウィグル自治区・タクラマカン砂漠を貫く道路をゆく車
「人民日報HP」より

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