【今日のタブチ】インドの聖地・バラナシで起きた“不謹慎”――新年に考える、日本人の「品格」とは?

新年から“不謹慎な”話で申し訳ない。
今朝の新聞で読んだ、不謹慎極まりない話である。

インドのヒンドゥー教の聖地・バラナシガンジス河ガート(沐浴場)で、クリスマスの25日に、サンタクロースの帽子を被った赤い水着姿の男性が沐浴しようとし、住民にとがめられるという騒ぎがあった。しかも、それは日本人旅行者だという。
日本人の恥さらしだと、耳目を覆いたくなる。住民側は「放尿までしていた」と主張している。

私はこの地を何度も訪れている。だから、この場所がヒンドゥー教徒たちにとってどんなに大切な場所かもよくわかる。人々はこの地で沐浴をし身を清め、現世の罪を洗い流す。身体を洗い、口をゆすぐ。撮影に行くときは、いつも「異教徒がお邪魔している」気持ちを忘れないようにしている。
近年は、工場廃水や排せつ物などによる水質汚染が深刻化し、公害問題も起きている。バラナシの上流には火葬場があり、ヒンドゥー教の習わし通り火葬された遺体が流れてくることもある。そんな混沌とした場所だから、“何でもあり”だと思ったのか。もしそうだとしたら、あまりにも浅はかだ。

ヒンドゥー教は確かに混沌の宗教だ。数え切れない神々が同居し、破壊と再生が循環する。一見すると無秩序だが、そこには「ダルマ(法・秩序)」という軸がある。この構造は、カオス理論に似ている。カオス理論は、完全なランダムではなく、複雑な秩序を内包する非線形システムを示唆するものだ。ヒンドゥー教も同じ。混沌は無秩序ではなく、秩序を孕んでいる。
聖なるガートは、信仰の場であり、観光客のパフォーマンスの舞台ではない。クリスマスの日に、サンタ帽をかぶって寺院で奇行に及ぶのと同じくらい――いや、イスラム教の聖地メッカで、ラマダン中に弁当を広げるのと同じくらい、宗教的冒涜ではないか。

最近、こういった行為のように、日本人としての自覚の薄れを感じることが多い
首相や閣僚の対外的な影響を考えない軽はずみな発言も、その一例だろう。たとえば、高市政権の安全保障政策補佐官・大江定正氏が非公式会見で「日本は核を保有すべきだ」と発言した際、石破氏や与党内外から強い批判が巻き起こった。また、高市早苗首相が東アジア首脳会議で中国の台湾政策を揶揄したため、中国側が抗議、メディアでは「軽率」「無神経」と報じられた――こうした具体例を見るにつけ、私は背筋が寒くなる。
そんなこともあって、新年の今日だからこそ、私自身への自戒を込めてこの“不謹慎な”一件を取り上げた。

「HIS」公式HPより




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