【今日のタブチ】ロッテリア消滅の“意外な”理由──龍野市で育ち、インドでニセ・マックを見た私が抱いた企業文化への違和感

すべての「ロッテリア」「ゼッテリア」になるというニュースを見た。
1972年から約54年間親しまれてきたハンバーガーチェーン「ロッテリア」が、2026年3月末までに全店舗を順次「ゼッテリア」へ転換し、ブランド名が消滅することが発表された。すき家などを展開するゼンショーホールディングス傘下に入ったため、運営する株式会社ロッテリアも2026年2月16日に「株式会社バーガー・ワン」へと社名変更し、ロッテリアの名前は完全に姿を消す。

正直、「なんだかなぁ~」と思った。同時に、とても残念な気持ちになった。その理由は2つある。
ひとつ目は、「ロッテリア」には格段の思い入れがあるからだ。
兵庫県の片田舎、人口4万人ほどの「旧・龍野市」(現在のたつの市)に生まれ育った私は、1970年代に小中高時代を過ごした。1973年にはダイエー竜野店が開業し、続いて1976年にはジャスコ竜野店ができた。この2つの商業エリアと、ダイエーの専門店街「赤とんぼ広場」は、私たち若者のたまり場であり、キラキラした“都会の匂い”を感じさせる憧れの場所だった。中学は自転車通学だったが、放課後に赤とんぼ広場に寄って友だちとブラブラするのが楽しみだった。

そして、記憶はやや曖昧だが、この赤とんぼ広場の中にロッテリアが入っていたと覚えている。当時はマックがそこまで主流ではない。もちろん、ドムドムもフレッシュネスも、ましてやモスやキングも存在しない。主流はむしろロッテリアで、まさに“青春の象徴”だった
そんなロッテリアの名前がなくなると聞いて、心穏やかでいられるわけがない。そう感じる人は私だけではないはずだ。

もうひとつの理由は、「買収したから名前を変える」というやり方そのものに反発を覚えるからだ。
新ブランド「ゼッテリア(ZETTERIA)」は、ロッテリアの看板メニュー「絶品バーガー」の“ぜ”と「カフェテリア」を組み合わせた造語らしい。メニュー構成を「絶品」シリーズに絞り込み、カフェのような気軽さを目指しているという。しかし、多くのファンが長年親しんできた“ロッテリア”という名前をあっさりと消してしまうという姿勢が、どうにも理解できない。
そんなんだったら、ロッテリアを買収せずに「ゼッテリア」を別に作ればいいのにと思っていまう。そうすれば、“ロッテリア”の名も残った。

名前の“付け替え”は、過去にも大きな反発を招いた例がある。
JR東日本が駅ビル名を一斉に統一しようとして住民の反対に遭ったケース、Pepsiが欧米でロゴを大幅刷新した際に「ブランド価値を壊した」と批判された件、そして日本でも、セブン&アイが「デニーズ」を「セブンレストラン」へと改称しようとして頓挫したことがある。
つまり、愛着を無視したリブランディングは往々にして失敗する。

私がドキュメンタリー取材でインドやパキスタンを訪れていた頃、マクドナルドとそっくりの“M”に似た黄金色アーチを掲げ、赤×黄色の外観を持ち、名前の綴りをわずかに変えただけの「McDonel」「MacDonell’s」「McDonlad’s」といったハンバーガーチェーンをよく見かけた。もちろん、本家への許可など得ているはずもない。あれは、ブランドの蓄積とは無関係に、ただ“外観だけを借りた”ローカル商売だった。

今回の現象には、球場やホールの「ネーミングライツ」の普及も影響しているのではないかと私は考えている。
企業名を冠したスタジアムやアリーナが次々と登場し、「名前=資産」「名前=広告媒体」「名前=売買できる価値」という発想が社会全体に浸透した。その延長線上で、ブランド名そのものを“企業の都合で付け替える”というビジネスの論理が当たり前になっていったのではないだろうか。

かつて、企業名やブランド名は“育てるもの”だった。しかし今は、“交換可能な所有物”として扱われる時代になった。
「ロッテリア」という名前はいわゆる一つの「食文化」とその食文化が築いてきた歴史だ。その後ろには多くの人々の思い出や記憶がある。それをちゃんと残してゆこうという企業倫理がないものか、と情けなくもなる。
ロッテリアという名前が消えることに違和感と寂しさを覚えるのは、そんな時代の変化を、私たちが無意識のうちに感じ取っているからなのだろう。

「日本経済新聞デジタル」より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です