【今日のタブチ】同性婚「合憲」判決――《批判》の嵐の中で見落とされている“本質”
東京高裁が同性婚を認めない現行法を「合憲」と判断した。
判決は憲法24条1項の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」という文言を、制定時の伝統的な婚姻形態、すなわち異性間の結合を指すものと解釈した。林亜由美裁判長は「婚姻制度は夫婦とその子を基本単位とする設計であり、男女による生殖が通常の方法であることから、夫婦を法律上の男性と女性と解釈する合理性がある」と述べている。この判断は、過去の高裁判決が「違憲」または「違憲状態」としてきた流れに逆行し、批判が強い。「時代遅れ」「国際的潮流に逆行」といった声が飛び交っているが、ここで問うべきは単なる価値判断ではなく、憲法解釈の方法論だ。
憲法解釈には二つの立場がある。制定時の文言と歴史的背景に忠実であるべきだという原理主義的解釈と、憲法は生きた法であり社会の変化に応じて柔軟に解釈すべきだという進化的解釈だ。憲法24条が「両性」と記したのは戦後の家族制度改革の文脈において異性間の婚姻を前提としていた事実に基づく。司法がこの枠を超えて同性婚を憲法上の権利と認めるなら、それは立法権の侵食であり、憲法の安定性を損なう危険がある。今回の東京高裁判決はこの立場に立っている。
一方で、個人の尊厳や幸福追求権を重視するなら、同性婚を認める方向に進むべきだという論理も成り立つ。国際的には、G7で同性婚を法的に認めていないのは日本だけであり、国際人権基準から見ても遅れている。
世界の状況を見ると、2025年現在、同性婚を合法化している国は39カ国に達し、人口にして約15億人、世界の約20%が婚姻平等を享受している。最近ではタイやネパールが法制化し、アジアでも変化が始まっているが、日本は台湾とタイを除く主要国の中で取り残されている。G7諸国では、アメリカ、カナダ、フランス、ドイツ、イギリスがすでに同性婚を認め、イタリアでさえ市民結合制度を導入している。日本はパートナーシップ制度が全国で広がり、人口カバー率は90%を超えるが、法的拘束力はなく、相続や税制優遇、養子縁組などの権利は保障されない。
ここで重要なのは、司法が合憲か違憲かを争う以前に、国会が何をしてきたか、あるいは何をしてこなかったかだ。今回の東京高裁判決は「同性婚に関する国会審議が始まらない状況が続けば、幸福追求権や平等権との関係で違憲は避けられない」と警告している。しかし現実には、国会での議論は停滞している。企業や自治体はパートナーシップ制度を広げ、社会は変化しているにもかかわらず、国会は「慎重な検討を要する」と言い続け、実質的な審議を開始していない。これは立法不作為の典型例だ。
今後の焦点は最高裁だ。全国6件の高裁判決は「違憲」5件、「合憲」1件と割れ、統一判断が不可欠になった。最高裁は過去にトランスジェンダーの性別変更要件をめぐり、身体の自由を侵害する要件を違憲と判断した経緯がある。個人の尊厳を重視する流れは確実に存在する。今回の同性婚訴訟でも、憲法13条(幸福追求権)や14条(法の下の平等)、24条(婚姻の自由)との関係で、国会の不作為をどう評価するかが鍵になる。最高裁が「違憲状態」ではなく「違憲」と明言すれば、国会は制度設計を迫られる。逆に「合憲」と判断すれば、国際的批判は一層強まり、G7内での孤立は深まる。
司法に過剰な期待を寄せる構造は健全ではない。憲法は民主的プロセスを前提としており、婚姻制度の再設計は本来、国会の役割だ。国会は最高裁の統一判断を待つのではなく、同性婚に関する法制度の是非を正面から議論すべきだ。「婚姻」という言葉にこだわるのではなく、同性カップルの法的保護を実質的に保障する制度を早急に整備すべきだ。立法不作為が続けば、司法が違憲を宣言する日が来る。それは民主主義の機能不全を意味する。
今回の東京高裁判決は、憲法解釈の原理主義に立脚したものであり、法理論としては一貫している。しかし、それが「時代遅れ」と批判される背景には、国会の怠慢がある。憲法は条文の安定性と社会の変化への対応という二つの要請の間で揺れ動く。そのバランスを取る責任は、司法ではなく、立法府にある。
今回の判断は憲法解釈の原理主義に立脚したものだが、同時に国会に議論を促すメッセージとして読むこともできる。司法が「違憲」と断じるよりも、立法府に責任を果たさせる余地を残した点で、制度設計を民主的プロセスに委ねる姿勢を示した“有意義な判決”とあえて評価したい。
「日テレNEWS NNN」より


