【今日のタブチ】私がこの世で最も〝尊敬する〟小児外科医・吉岡秀人氏との再会の夜~還暦にもかかわらず発展途上国で自らメスを握るその「信念」の根源はどこにあるのか?

以前、このブログでも紹介したが、今日は私が世の中で最も尊敬する、世界的な小児外科医・吉岡秀人氏について書きたい。
以前のブログ☛https://35produce.com/%e3%80%90%e4%bb%8a%e6%97%a5%e3%81%ae%e6%96%b0%e8%81%9e%e3%81%8b%e3%82%89%e3%80%91%e6%9d%b1%e5%a4%a7%e5%89%8d%e6%ad%bb%e5%82%b7%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%81%ae%e7%94%b7%e3%81%8c%e6%86%a7%e3%82%8c%e3%81%9f/
吉岡氏は、発展途上国での医療支援活動を通じて、多くの命を救うことに情熱を注いでいる。その吉岡氏と何年かぶりに会える機会があった。ほとんど海外での活動に時間を費やしている吉岡氏の日本での時間は限られている。だが、そんな嬉しいチャンスを作ってくれたのは、これも上記のブログで述べたドキュメンタリー番組の際に現地のコーディネイターを務めてくれたJ-SATの西垣充氏だった。
*西垣氏のブログも見てみてください!https://j-sat.jp/nishigaki/
西垣氏は軍事政権下にあるミャンマーの若者たちの将来を守ろうと、現地で就労支援をしている。ミャンマー国内で仕事ができない若者たちを日本の企業に斡旋し、その未来を拓いてあげている。家族を日本に移住させ、クーデター以降も自分はミャンマーに残って活動をおこなっている。この志も素晴らしいものだ。つまり、「素晴らしい志」の吉岡氏と西垣氏という私とはまったく桁違いのレベルの人々の場に私も混ぜてもらった感じだ。まったく〝恐れ多い〟とはこのことである。
吉岡氏の話に戻そう。この日は久しぶりに吉岡氏の熱い話を聞いて、当時と変わらない彼の信念に改めて感服した。
「医療を通じて患者の人生の質を向上させる」
「命に国境はない」

など、吉岡氏にはいろいろ名言があるが、21年前のドキュメンタリー撮影時に吉岡氏がインタビューで語っていたことを思い出した。それは「人生の縁」というものだ。日本が敗戦し、食べるものにも困っていたときに、最初に米を送ってくれたのがミャンマーの人たちだったという。そうやって吉岡氏の命もこの世に誕生したのかもしれない。そんなミャンマーに自分が来て、医療活動をおこなっていることを、「人生の縁」だと感じたという。
思えば、吉岡氏を巡ってはさまざまな縁がある。前述のドキュメンタリーの日本側の舞台となったのは、岡山県にある岡山医療センターだった。当時の院長であり、吉岡氏の恩師でもある青山興司医師が難病の子どもの受け入れ先になってくれたからだ。そして、私の娘も息子もこの病院で生まれた。
作家の小松成美氏のこともこのブログで紹介しているが、この小松氏と吉岡氏が知り合いであったことを、私は最近知った。「小松氏⇔田淵」のつながりはあったが「小松氏⇔吉岡夫妻」つながりもあったのだ。これも「奇縁」だと感じた。
ちょうど21年前のドキュメンタリー撮影時に吉岡氏が設立した国際医療ボランティア団体「特定非営利活動法人ジャパンハート」は、いまは大きな団体になっているので、皆さんもACジャパンのCMでご覧になったことがあるだろう。その理事長を務めているのが、吉岡夫人の春菜氏だ。春菜氏も小児科医で、いつもニコニコしているとても穏やかな人柄の方である。この日にお会いしたときに、現在は末期小児がんの子どもたちの緩和ケアに尽力されていると聞いて「優しい春菜氏らしいな」と思った。

吉岡氏は翌日も5時起きで、カンボジアに向かうという。現在、カンボジアの首都プノンペンの近くに、高度医療を中心とした小児疾患の治療や乳幼児死亡率を減らすための小児診療をおこなうことを目的に、200床程度の高度医療センターを建設している。そこで、将来的にミャンマーやラオスなどの周辺国からも貧困層の患者を受け入れ無償で治療すると同時に、現地の医療者の育成も図ってゆくという。なんと素晴らしいこと、夢があることではないか。カンボジアへはその準備のために赴くのだが、現地では吉岡氏の到着を今や遅しと待ち受けている患者がたくさんいる。
吉岡氏と私は1歳違い。還暦だ。そんな吉岡氏は、いまもメスを握る。
私もまだまだ負けてはいられない。
*ジャパンハートHP☛https://www.japanheart.org/

中央:吉岡氏、右:西垣氏、下:春菜氏

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