【今日のタブチ】532という“失われた命”の重さ──子どもの自殺だけが減らない、この国の「深い歪み」の正体
その悲しみがこころから離れない。
数字が更新したのは最多の“記録”ではなく、不在の“名前”だ。2025年、小中高生の自殺は532人。過去最多を2年連続で塗り替えた。一方で日本全体の自殺者数は1万9,097人と、統計開始以来はじめて2万人を割り込んだという対照が、社会のどこに歪みがあるかを露わにしている。
小学生10人、中学生170人、高校生352人──年齢が上がるほど数字は増え、女子277、男子255という性差も横たわる。こうした暫定値は3月に確定公表が予定されているが、待っているあいだにできることは山ほどある。
原因や動機を縦に並べても問題は解けない。19歳以下で複数計上された動機の上位は「学校問題316」「健康問題315」「家庭問題181」。しかも健康問題の中にはうつ病126件が含まれる。子どもは一本の原因で追い詰められるのではない。
学校のストレス、心の不調、家庭の負荷が“同時に押し寄せて”逃げ場を奪う。
ここ数年の“高止まり”は偶然でも一時的でもない。小中高生の自殺は2011年以降300人台で推移していたが、コロナ期の2020年に跳ね上がり、その後も高止まりが続いている。社会全体が減少しているのに子どもだけが減らない。この非対称を前に、「景気が上向けば解決する」式の総論は通用しない。
さらに厄介なのは、“危険なサインが見えていたのに支援につながらない”という問題だ。
死亡事例の分析では、子どもが発していた複数の兆候が周囲に気づかれていたにもかかわらず、情報が共有されず、支援まで届かなかったケースが少なくない。問題は「理由の多さ」そのものではなく、“気づきが断片化し、誰にもつながらない仕組み”にある。
必要なのは、誰かが気づいた瞬間に → 必ず次の大人へ → そして支援につながる、という“途切れない流れ”をつくることだ。
ここからは、机上の理屈ではなく、私が今すぐ動かせると思うことを、できるだけシンプルに書いておく。
まず、学校。
学校は“問題を見つける場所”ではなく、子どもの変化を受け止める場所であってほしい。毎朝のほんの一言──「楽しい」「ふつう」「つらい」──これだけでも、子どもの心の揺れは見える。誰かがその変化をつかんだら、できればその週のうちに声をかける。特別な仕組みはいらない。気づいた大人が、別の大人につなげる。その流れさえ途切れなければ、助けられる命はぐっと増える。
次に、相談の入口。
教室の隅に貼られた番号を見て、自分から電話できる子どもがどれほどいるだろう。だからこそ、子どもたちが毎日手にする端末に、“助けを求められる場所”が最初から見えていることが大事だと思っている。夜でも話せる窓口があることを、ただ知っていてほしい。
そして医療。
児童思春期の外来はどこも混んでいる。それでも、“今つらい”子どもが来月まで待つのはあまりにも長い。学校と医療の間に、せめて一本の道筋だけでも用意できたら。つなぎまでのあいだは、SNS相談やスクールソーシャルワーカーが家庭を支える。待っている時間に、孤立させない。
家庭の中にも、外に出にくい沈黙がある。
「最近、よく眠れていない」「いつもより言葉が少ない」──そんな小さな変化を、月に一度だけ学校に伝える“変化メモ”として残してみる。たった数行でも、学校の大人たちには大きな手がかりになる。見えていた兆候が共有されずに途切れてしまったケースが実際にある以上、小さな変化を小さなうちに受け渡すことが、何よりの予防になるはずだ。
学校文化も少しだけ緩めたい。
遅刻してきた子には「来てくれてよかった」の一言を。欠席には、その子の心の状態も含めて柔らかく向き合う。評価も“平均点”ではなく、そこに至るまでの道のりを見てあげたい。失敗に厳しすぎる学校は、子どもの身動きを奪ってしまう。
そして、忘れてはならない“振り返り”がある。
CDR(Child Death Review)──難しい言葉だが、要するに亡くなった子どもから学び、二度と同じ悲しみを繰り返さないための社会の見直しだ。テレビ局で番組の“総括”をしていたときと同じで、原因を探り、次に活かす。それを命の現場でやるということだ。
どんな立派な計画でも、動かなければ意味がない。
だからこそ、見るべき指標はひとつでいい。
「気づいていたのに、届けられなかった子が、今週は何人いたか。」
この問いだけを、学校でも家庭でも毎月見返していけばいい。数字は責めるためではない。守るために使う。
最後に、今日できる一つだけ。
誰であってもいい、10分だけ遮らずに話を聴く。
端末に相談窓口をピン留めし、一緒に“押す練習”をしてみる。
短い“変化のメモ”を担任に送ってみる。
たったそれだけで、救える時間が確かにある。
そして、この数字──532という“失われた命の重さ”は、社会の通信簿ではない。
彼らの不在が刻んだ赤い字を、次の一年で少しでも薄くするために。
国でも学校でもなく、いまここにいる私たちから始めたい。
「TBS NEWS DIG」より


