【今日のタブチ】NHKスペシャル『未解決事件 File.08 日本赤軍 vs 日本警察 知られざる攻防』――圧巻の内容、しかしラストに残る“違和感”と“問い”
NHKスペシャル『未解決事件』File.08「日本赤軍 vs 日本警察 知られざる攻防」を見て胸に迫ったのは、ラストのナレーションだった。 「国家が突きつけられた問い、理想を掲げた者たちが突きつけられた問い、それは交わることがないまま、いまもここにある」
この一文が示す現実は、過去の事件を超えて、今も私たちの足元に横たわっている。
『未解決事件』は、未解決の重大事件を再現ドラマとドキュメンタリーで検証するNHKのシリーズだ。今回取り上げられたのは、日本赤軍と国家権力の衝突、その果てに残された問いだった。1977年のダッカ・ハイジャック事件、日本政府が人質救出のために要求を受け入れた決断、そしてその後の警察の極秘追跡チーム――番組は半世紀の時を経て、その舞台裏を明らかにした。
日本赤軍の元最高幹部であった重松房子氏をカメラの前に引きずり出したことへの称賛は、先のブログ記事で述べた。
重松氏の罪は重い。人を殺めた事実は消えない。だが、形を変えて同じような罪を犯している者たちはいないのか。重松は、やり方を間違えたかもしれない。でも、その方法しかなかったのだ。武装する国家、軍事化する体制、それに異を唱えることすら私たちができないとしたら、私たちは彼女を責めることができるのだろうか。
この問いは、過去の過激派運動を語るだけでは終わらない。防衛費の増額、憲法改正論議、軍備の強化――「抑止力」という名の武装化が進む現代において、異議を唱える声はどこまで許容されているのか。国家の論理と個人の理想が交わらない構図は、半世紀を経ても変わっていない。むしろ、より巧妙に、より強固に、異論を封じる仕組みが整えられているのではないか。
番組を見ながら、私は何度も自問した。重松氏らが掲げた理想は、どこで道を誤ったのか。彼女たちは暴力を選んだ。しかし、暴力を選ばざるを得ないほど、国家の壁は厚かったのではないか。
彼女たちの行動を肯定することはできない。だが、否定するだけでいいのか。
彼女たちが投げかけた問いを、私たちは本当に受け止めてきたのか。 いや、いまこのときも、私たちはその問いを受け止められているのか。
そう思ったのは、番組の締め方に違和感を覚えたからだ。
国松元長官の言葉で締める構成は、彼の行動のすごさを称えるものだった。もちろん、その功績は否定できない。だが、同時に「最後の言葉は重松氏ではないのだ」と感じたからだ。番組の最後を飾る、いわゆる「代弁」は、作品の主義・主張を表す。その事件の核心にあった問いを、国家側の言葉、体制側のロジックで閉じてしまうことは、未解決のまま残る問いを、再び覆い隠すことにならないか。
ここに、NHKというメディアの特性が透けて見える。公共放送として「中立」を掲げながら、国家の論理に寄り添う構成を選ぶ。これは戦後から続く公共放送の宿命でもある。視聴者に問いを投げかけるよりも、秩序を回復する物語で番組を終える。その選択は偶然ではない。国家とメディアの距離感、報道の「安全地帯」を守る姿勢が、こうした演出に現れる。未解決事件を扱いながら、最後に国家の言葉で幕を引くこと――それ自体が、問いを封じる行為ではないか。
制作者の矜持を実感した作品だっただけに、ラストが残念に思えて仕方がない。
「国家が突きつけられた問い」と「理想を掲げた者たちが突きつけられた問い」。この二つが交わらないまま、私たちはどこへ向かうのか。番組を見終えた今も、その問いは私の胸に重く残っている。
「NHKオンデマンド」公式HPより


