【今日のタブチ】WBC“地上波ゼロ”の衝撃──Netflix独占の裏で、なぜ「放送文化」は切り捨てられたのか?
ワールド・ベースボール・クラシックがNetflix独占になった瞬間から、頭のどこかにずっと違和感が居座っている。地上波でWBCが見られない、そんな時代が本当に来るとは思っていなかった。だが2026年大会の放映権は約150億円まで跳ね上がり、テレビ局が手を出せず、その巨額をNetflixがそのまま買い取った結果、日本国内では全47試合が完全独占配信になった。生中継も録画放送もない。これはすでに広く報じられている事実だ。
ビジネスとしては理解できる。放映権は2006年の約10億円から、2023年には約30億円、そして今回は一気に150億円へ。わずか3年で5倍という異常な高騰である。大谷翔平氏を中心に“日本市場が突出して熱い”という評価がつき、主催者側が強気の値付けをした結果だ。広告モデルのテレビ局がこの金額をペイできないのは、誰が見ても明らかだろう。
だが、それでも私は「本当にこれで良かったのか」と思ってしまう。
今回、日本は準々決勝で姿を消したが、その戦いを“偶然テレビをつけた少年少女が目にして胸を熱くする”という入り口そのものが、今回、完全に消えてしまった。2026年大会はアクセスした人にしか届かない構造で、偶発的視聴という文化が丸ごと消えた。
さらに、今回の独占配信には、これまでのWBC中継では見られなかった動きがいくつもあった。長年、日本側で放映権の窓口を担ってきた読売新聞社が、主催者であるWBCIから外され、Netflixと直接契約が結ばれた。つまり、これまで日本の放送が支えてきた慣例的な枠組みが一気に崩れたわけだ。テレビ局側には放映権料が提示されることすらなかったという証言もあり、最初から“地上波が入り込む余地のない契約”だった可能性さえある。
この変化は単なるお金の問題ではない。
実は、私はテレビ東京にいたころ、Netflixが資金を出してドラマ制作をテレ東に依頼するという案件に直面したことがある。その時、テレビ局が外部の巨大プラットフォームのために制作を請け負うという構図は、どこか本来の役割とズレているのではないか、という議論が立ち上がった。テレビ局には、自社で届けるべき表現や理念があり、公共的な視点で作品を世に送り出す矜持があるはずだ。単なる“受注制作”に徹するのなら、それは本来は制作会社の仕事であり、テレビ局がその領域を奪うことにもなる。
今回のWBCで、日本テレビが放映権を失ったまま制作だけを担わされている構図を見て、あの時の違和感が鮮明によみがえった。主導権を持たないまま、ただ映像を作る側に押しやられていく──それはテレビ局が本来果たしてきた役割の縮小を意味している。文化として何を社会に届けるべきかという本質的な部分だけが、するりと手のひらから抜け落ちていくような感覚がある。
戦後の日本では、テレビとスポーツが文化として互いを支え合いながら、国民の“気分”を形づくってきた。力道山のプロレスが国民を鼓舞し、巨人戦は長年、日本テレビの視聴率の柱だった。スポーツはテレビに視聴率と話題を与え、テレビはスポーツに未来のファンを連れてきた。双方が文化として発展してきた歴史がある。
その循環は、地上波が“誰にでも開かれた窓”だったからこそ成立した。たまたま目にした一打、一瞬のプレーに心を奪われて、いつか野球を始める子どもがいた。視聴が“公共の場”で共有されるから、スポーツは広がり、社会の空気さえ変えてきた。
だが今回のWBCは、その入口がごっそりなくなった。慣例を外してまで結ばれた直接契約や、民放に手を出させない規模の放映権料を見ると、「時代だから仕方ない」という言葉だけでは片づけられない構造的な変化を感じる。プラットフォームの資本力がすべてを飲み込む流れは、スポーツを“限られた人しかアクセスできないコンテンツ”へと押し込め、未来のファンの芽を確実に細らせていく。
もちろん、Netflixは技術力と資金力で配信基盤を固め、日本テレビは中継制作を担い、映像の土台を支えている。映像のクオリティは申し分ないだろう。だが、どれだけ完成度の高い中継でも、スマホに個別に閉じた視聴体験は、かつてのような“国民的熱狂”にはならない。スポーツが持っていた、言葉にできない連帯感や、たまたま目にしたワンシーンが人生の方向を決めるような偶然の力。それを、私たちは軽く扱い始めているのではないだろうか。
今回のWBC独占配信は、単なる放映権ビジネスの問題ではない。
日本のスポーツ文化が、「誰でもアクセスできた公共的な体験」から「特定プラットフォームの中に閉じた限定コンテンツ」へと、静かに、しかし確実に姿を変えたことの象徴だ。
時代だから仕方ない――。
そう言われても、私の中のモヤモヤは、まだ消えそうにない。
「AV Watch」HPより


