【今日の新聞から】「ミス日本」批判に見る〝偏った〟民族主義
第56回ミス日本コンテスト2024に関する記事が目についた。
ウクライナ生まれのモデル、椎野カロリーナ氏がグランプリに選ばれたことが物議を醸している。SNS上で賛辞が送られる一方で、「日本人らしくない」「日本国籍とはいえ、日本人の血が入っていない女性をミス日本にするのはどうなのか」という攻撃的な投稿も見られるという。
確かに椎野氏は両親ともがウクライナ人だ。しかし、5歳で来日して2022年に日本国籍を取得している。「日本国籍とはいえ、日本人の血が入っていない女性をミス日本にするのはどうなのか」という批判は、偏った民族主義だと指摘したい。もちろん、「民族主義」自体は悪いことではない。だが、民族主義は「国家」ではなく「民族」を中心に考えて政治的な事柄を決定したり文化を守ったりしようとする思想のことなので、あまりに偏重してしまうと、同じ国の中で民族間に紛争が起こったり、他民族の移民の排斥運動が起こったりするなど、国際的な問題に発展する例は枚挙に暇がない。
私の感覚では、「ミス日本」は日本的な感覚を持ち合わせ、日本文化や日本の美を理解している心を重要視しているものだ。公式HPでも「ミス日本コンテストは、日本らしい美しさを磨きあげ、社会で活躍することを後押しする日本最高峰の美のコンテストです。美しさとは見た目の容姿だけでなく、心の持ちようや社交性など幅広い人間性が問われます」と述べている。https://www.missnippon.jp/
見た目や容姿だけで「日本らしくない」と判断するのが早計であるのは自明である。ましては「血統」や「民族」という視点で見るのは愚かで料簡が狭い。私は椎野氏を存じ上げないが、もしかしたら見た目や血統は日本人であっても日本の心をまったく理解していない人よりよっぽど日本の文化や物事の考え方の真髄を知っている方なのかもしれない。
以上のように先入観や固定観念、自分の常識だけで「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」をおこなってしまうことはとても危険なことだが、そういう罠に引っかかってしまうのも人間だと言える。
いっそのこと、コンテストのタイトルを「ミス日本」ではなく「ミス日本大好き」とかにしてしまってはどうか。
椎野カロリーナ氏「ミス日本」HPより