【今朝の新聞から】海外取材中に拘束されたジャーナリストは「身から出た錆」なのか?
2015年にシリアで武装組織に拘束され、2018年に解放されたジャーナリスト、安田純平さんがパスポートの再発給を求めた際に外務省が拒否した処分が「裁量権の逸脱や乱用にあたる」として「違法」とされ、取り消される判決が東京地裁から出された。
私はこの判決を聞いて、「当然だ」と感じた。
こういった現地で拘束されたジャーナリストや取材者、団体職員などの議論には必ず「自己責任論」がついて回る。「自分で進んで行ったんだから、捕まっても身から出た錆だ」「危険だとわかっていたはずだ」「税金から成り立っている身代金を使わせやがって」といった保守的でステレオタイプなバッシングがほとんどを占める。それらは「感情論」でしかない。唯一、正論だと感じるのは「そもそも外務省から『渡航禁止令』が出ていたのだから、そんなところに行ってはダメだろう」というものだ。
しかし、これらの論が空虚なのは、当事者論になっていないことだ。去年の12月24日のこのブログでも述べたように、私は2004年にミャンマーでドキュメンタリーの撮影中に当時の軍部に軟禁状態で拘束された。https://35produce.com/%e3%80%90%e4%bb%8a%e6%97%a5%e3%81%ae%e6%96%b0%e8%81%9e%e3%81%8b%e3%82%89%e3%80%91%e6%9d%b1%e5%a4%a7%e5%89%8d%e6%ad%bb%e5%82%b7%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%81%ae%e7%94%b7%e3%81%8c%e6%86%a7%e3%82%8c%e3%81%9f/
そのときは「もう日本には帰れないかも」と覚悟した。そのころのミャンマーにも「渡航禁止令」に近いものが出されていた。だが、取材のタイミングとしてはそのときしかなかったのだ。だから、否応なく出かけて行った。何もそんなタイミングで好き好んでいったわけではない。
私の場合は、「紛争」をテーマに取材をしていたわけではない。でもそういったことを取材の目的にしている場合には、ある程度の危険を覚悟しながら、また「最悪のシナリオ」もわかっていながら、現地に足を踏み入れる場合もある。それはそんな状況下でないと、「真実の姿」を取材することができないからだ。そしてその先には、「真実の姿」を一人でも多くの人に伝えようという、「ジャーナリスト魂」とも呼べる目的がある。その思いや志を理解しようとしたとき、けっして「自分で進んで行ったんだから、捕まっても身から出た錆だ」「危険だとわかっていたはずだ」「税金から成り立っている身代金を使わせやがって」などとは言えるはずがない。
本来であれば「世界の知らないところで起こっていることだから、興味がない」といって目をつぶっていてはいけないような現状を私たちの代りに危険を冒して現地に赴き、取材をしてくれているのが彼らなのだ。いわゆる「私たちの代表選手」なのである。そんな人たちに不測的に降りかかった出来事を「身から出た錆」と言える神経を疑う。
日本人は昔から「他者の気持ちをおもんばかる」人種だと言われてきた。その美徳を取り戻したいものだ。
安田純平氏「朝日新聞デジタル」より