【大好きな人たち】「邦さん」こと田中邦衛氏の思い出

2日前のブログには菅原文太氏の思い出を記したが、今日はもうひとり、私の大好きな人の話をしよう。
菅原氏とのドキュメンタリー作品『暴れ龍・揚子江』から遡ること3年の1998年、私は『天空の大河・ガンガー』という番組を制作した。こちらの舞台は、ガンジス川である。当時の私は、とにかくカメラだけで表現するドキュメンタリー映像を極めたいと考えていて、レポーターや旅人を立てない番組作りをおこなうことが多かった。その代わりに、「語り部」となるナレーターの選出にはこだわっていた。
そしてこの『天空の大河・ガンガー』のナレーターを引き受けてくれたのが、田中邦衛氏だった。菅原氏のことを「文太さん」と呼ばせてもらっていたように、田中氏のことは「邦さん」と呼んでいた。私のような若造が不遜にもそんな呼び方をしても、お二人は嫌な顔をするでもなく、邦さんなどは顔をくしゃくしゃにしながら「おぅ」と答えてくれたものだった。
邦さんとの思い出もたくさんあるが、私は横浜在住、邦さんもということがあって、よく中華街で一緒に食事をすることが多かった。邦さんと奥様はとても仲が良く、どこに行くときも二人だった。お食事も私の妻も含めた4名ですることもあった。
そして当時私が驚いたのが、邦さんは車を使わないということだった。どこに行くのにもふらっと電車に乗って出かける。私との打ち合わせや会食のときも、『北の国から』の五郎さん帽子をかぶって電車と徒歩でやって来る。
もうひとつ鮮明に思い出すシーンとしては、邦さんが娘さんの話をするときのことだ。邦さんはNHKにお勤めの娘さんが自慢で、ちょうど娘さんと私が同じ年ということもあって、よく娘さんの話を聞かせてくれた。そしてそのときの邦さんは本当に幸せそうだった。これ以上嬉しいことはないといったような満面の笑顔が、いまでも目に浮かぶ。

「Sponichi Annex」HPより

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