【書籍と今日の新聞から】「正しい認識」とは何か? 東名あおり裁判の「俺が出るまで待っとけよ」
「いのちの授業」と題して、日本全国の小中学校、高等学校で講義を行っている医師の小澤竹俊氏の『いのちはなぜ大切なのか』を読んでいる。長年、ホスピスで勤務された経験があるだけに、とても考えさせられる内容の書籍である。そのなかの一部を紹介したい。「正しい認識」に関する記述だ。
「正しい認識」ということについて、カントという哲学者は「人は正しい認識はできない」と言っています。カントは、人間が知覚できる範囲には限界というものがあると考えました。(中略)ニーチェはもっと過激です。彼は「正しい認識はない」という考え方です。「認識というものはない。あるのは強力な解釈である」というのです。
そして小澤氏は続ける。イラク戦争のときの「イラクに大量破壊兵器があるか、ないか」という議論を例に挙げる。ある国は「ある」と言い、イラクは「ない」と言う。そんなときの理論は、正しいかどうかはどうでもよく、あるのは強力な解釈、つまり声が大きい方が勝ちなのだと。そして最後に、いまの社会はこういう認識、つまりニーチェ的な感覚の人が多くなっていると警鐘を鳴らした。
考えさせられる記述だった。まさに、いまのネット社会は「先に言った者勝ち」「騒いだもん勝ち」になっている。そして本当に正しい人が吊るし上げられ、黙り込む。大きな声で言えばいいというものでもないだろう。ましてや、大声で威嚇すれば勝てると思っている者が増えていないだろうか。
今日の新聞に東名高速道路であおり運転をした被告の差し戻し控訴審の判決の記事があった。一審判決通り、懲役18年の判決が下された被告は、退廷時に裁判長や裁判官に向かって「俺が出るまで待っとけよ」と言い放ったという。あきれてものも言えないとはこのことだ。
ニーチェに言わせると、「ほら見てみろ、彼には『罪を犯した』『人が亡くなった』という認識などない。あるのは、自分勝手で独りよがりの解釈だけだ」ということになるのだろう。
「Yahoo!ニュース」より