【活動報告】「かくれキリシタン」のクリスマス儀式・お大夜――“過酷すぎる”一夜を再現映像化した理由
昨日は、現在訪れている五島列島・奈留島にやって来るまでの、トラブル続きの「珍道中」の様子をお伝えした。今日は、その旅の目的である「学内学術研究」について報告したい。
私は、テレビ東京から本学・桜美林大学に入職した2023年から、かくれキリシタンの研究を続けている。専任教員1年目にもかかわらず研究費を使わせてもらったことに、本学の懐の深さを感じ、感謝している。
2023年は・・・かくれキリシタンの洗礼儀式「お授(さず)け」再現映像化
2024年は・・・かくれキリシタンの宗教遺物「絹のオラショ」解読・映像化
本年度2025年は、かくれキリシタンのクリスマス儀式「お大夜(たいや)」再現映像化である。
そして、今年度の目的である撮影を、昨日2月10日㈫におこなった。
主催したのは、初年度から協力体制を組ませていただいている、禁教期のキリシタン研究会である。この世話役で、自身もかくれキリシタンの末裔である奈留島在住の柿森和年氏の導きで、今回の企画も実現した。「お大夜」は、洗礼儀式「お授け」同様、かくれキリシタンの幹部たち「三役(帳方、宿老、水方)」で執り行われる。
ご存じのように、クリスマスは「イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う日」である。正確な誕生日ではなく、あくまでもその生誕を記念する祭日(降誕祭)だ。12月25日は聖書で特定された日付ではなく、4世紀頃にローマの冬至祭などを基に定められたとされている。
奈留島のかくれキリシタンの人々は、このクリスマスイブからクリスマス当日の朝にかけて、「お大夜」をおこなっていた。今回、宿老役として再現を演じた矢口進氏は、小学校のころの「お大夜」の記憶が鮮明に残っているという。子どもたちにとっては、たくさんの人が集まり、ごちそうが食べられる「楽しみで、心待ちにしていた」“一大”イベントだったという。
矢口氏は現在71歳だから、儀式は少なくとも1960年代半ばまでは行われていたことになる。だが、中学生のときにはその記憶がないため、1967年前後には廃れていたとみられる。これらの証言をもとにすると、儀式の終焉は昭和40年代の入口あたりに位置づけられる。
この種の口承証言は誤差を含むものの、民俗儀礼の終焉期を推定するうえで一次資料として非常に重要だ。
撮影をしていて、興味深い点に気がついた。それはこの儀式の特徴とも言える点だ。
儀式は「初穂」というお供え物をして「サンタマリア様、イザベリア様にお神酒の御初穂、御飯の御初穂、御肴の御初穂をお供えして、サンタマリア様がひどく腹がせかずにご安産なされるようにイザベリア様に御頼み奉る」という言葉で始められる。
「サンタマリア様」はもちろん、聖母マリアだが、ここではそのマリア様と「イザベリア様」が同等に扱われている。イザベリアとは、「エリサベト(Elizabeth)」がなまった言葉だ。エリザベトは、マリアの親戚であり相談相手とされている。
聖書によると、聖母マリアが天使ガブリエルから受胎告知を受けた後、年老いて身ごもった親戚のエリサベトを訪問している。その後、エリザベトはヨハネを出産する。かくれキリシタンたちは、この「イザベリア様」にマリア様の出産がうまくいくように助けてほしいと懇願するのだ。その祈りの言葉「オラショ」は「お力添えのオラショ」という。
興味深いのは、マリアの親族であるエリサベト(イザベリア)が、出産の守護者のように扱われている点だ。これはキリスト教世界でも珍しく、かくれキリシタン固有の民衆信仰的な解釈である。 正統的なキリスト教教義では、エリサベトが“出産の加護”を与える存在として祈られることはない。禁教下の長い歴史のなかで、エリサベト像が日本の在地信仰と結びつき、独自の宗教文化を形成したとみられる。
そしてこの「お力添えのオラショ」はなんと130回も唱えられる。儀礼の反復回数としては極めて多く、この持続的唱和自体が、“祈りの力”を生み出す象徴行為となっていたと考えられる。
いかに当時のかくれキリシタンの人々の信仰心が強かったかをうかがい知ることができる。
撮影をしていて実感したのは、この儀式がいかに過酷で厳しいものかということだった。信仰者が身体的負荷をあえて受け入れることで、“信仰の再確認”をおこなうという構造は、世界の民間宗教にも共通する特徴である。
実際の「お大夜」は、午後8時に始まり、翌日の夜明けまで絶え間なく祈りが唱えられる。そして、時刻が変わる度に、祈りの種類が入れ替えられてゆく。午後8時は「第一座」と呼ぶ。午後10時になったら「第二座」になる。ここからは1時間おきにオラショが変わってゆく。午後11時には「第三座」。午前零時には「夜中の座」。そして、朝方の日が昇るころに「夜明けの座」を唱える。聖母マリアがキリストを出産した時間に関しては正確な記述はないが、「夜中の座」の最後に「御若君様がお生まれなされているので、静かにおわろうかの」と儀式が〆られることから、午前零時から朝方までの間にキリストは誕生したと信者たちは考えていたようだ。
だが、午後8時から朝方6時くらいまでオラショをの唱え続けていたとすれば、ぶっ続けで10時間もの間、儀式をやっていたことになる。その間、オラショは途絶えさせてはいけないというから、これは儀式を執り行う「三役」にとっても、参列する信者たちにとっても“苦行”と言えるだろう。
かくれキリシタンの信仰儀式「お大夜」は、自らを過酷な環境に追い込むことで、その信仰心を再確認する作業であったのだ。


