不純な動機で、テレビ局を目指す③フジテレビのセミナーへの切符を手に入れる
当時のマスコミは、「セミナー」という名の青田刈りが活況だった。いまの「インターンシップ」のようなものだ。たまたま日テレのセミナーに参加することができたりもしたが、採用試験に進む選考においては箸にも棒にもかからなかった。
当然である。
東横線の都立大駅近くに住んでいた私は、自分のアパートの前にある家の娘さんの家庭
教師をしていた。ある日、私がテレビ局志望だと聞いたその家のお父さんが、自分はフジテレビの横澤彪氏と知り合いだと教えてくれた。
横澤氏は当時、『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』という大ヒット番組
を手がけるフジテレビのプロデューサーだった。番組にも登場するほどの有名人でもあっ
た。
「そんな人なら、コネが効くに違いない」
光明を得た私は、そのお父さんに頼み込んで横澤氏からフジテレビの「プロデューサー
セミナー」の応募ハガキを手に入れた。ハガキの隅には特殊なインクで細工がしてあった。そのハガキを出した人は〝確実に〟セミナーに参加できるという「魔法の代物」だ。
ちなみ言っておくが、現在はそんなことはあり得ない。当時は、何でもありの時代だっ
た。
そのフジテレビのセミナーで、私は最終選考までたどり着いた。午前中は健康診断で、採血までおこなうほどの念入りなものだった。
「もう、これで安心だ」
安堵した私は気が緩んだのだろう。その日の午後の、ほとんど役員への「面通し」のよ
うな面接でミスをしてしまったのである。(次回に続く *詳しくは1月10日にポプラ新書から刊行予定の拙書をご覧ください)