【続報】『セクシー田中さん』事件に隠されたテレビの実態……を書ききれなかった後悔
昨日、プレジデントオンラインに『セクシー田中さん』事件の記事を寄稿したあとになって、書き足りないことがずいぶんあったなぁと反省している。
テレビ東京の後輩からは、「記事には紙幅の都合もあったと存じますが、ご著書に載せていたような『コミュニケーションとイマジネーションの欠如した現在のテレビマン』の具体的なエピソードを記事にも差し込めば『今のテレビはこんな状態なのか・・・そりゃ脚本家と原作者をうまく繋げられないし、モメて責任も丸投げするわな』という感じで業界の構図をより読者の興味を惹く形にして伝えられたかもしれないと思いました」という感想をもらった。言うとおりだ。
拙著『混沌時代の新・テレビ論』では、プレジデントオンラインの記事で挙げた「オリジナルの確保」と同時に、「リテラシーを磨く」ことが配信時代にテレビが生き残ってゆくキモになると記している。そのリテラシーがいまのテレビマンには欠如していると指摘しているのだ。そしてリテラシーを磨くために必要なのは2つの力だとも述べている。
2つの力とは、以下のものだ。
1.想像力
2.リスクマネージメント能力
今回の『セクシー田中さん』事件は、テレビ局やテレビ局のクリエイターにこの2つの力が足りなかったことが原因なのではないか。そういった真相にまで筆を至らせることができなかったことを後悔している。
どこか、続編を掲載してくれるところはないものだろうか。
©extreme
「株式会社エクストリーム」HPより
はじめてコメントさせていただきます。
今回の件について様々な問題が指摘されていますが、一般人として不思議に思うことがあります。
なぜ放送中に脚本を作成している工程になっているのでしょうか。
なぜドラマ化するにあたって、企画書だけで走り出してしまうのでしょうか。
企画書が通った後、最終話までの脚本を脚本家が作成し、原作者に提出、監修済みのものが出来上がった時点をもって
各方面のスケジュールを押さえて撮影開始という工程を取れば、
ストーリーの取捨選択や原作改変問題も原作者のコントロール下に置かれたものになるだろうと考えますし、
芸能事務所やスポンサーの意向が入ったとしても、脚本を根本から変えざるを得ないものについては取り入れるのは難しいと判断・お断りできる指針に脚本がなり得るのではないかと想像しますし、取り入れるとしても脚本の骨格ができている方が、対応は容易いだろうと想像します。
放送中の視聴者の反応を脚本に取り入るためにそうしている、という話も聞きますが
裏を返せばその行き当たりばったりの修正をしたいがために、原作者に負担やリスクをかけていることになり、これがひいては今回の件に繋がっているのではないかと感じます。
すでに撮影が動き出している状況では、原作者「個人」が「企業」に対して同一性保持権を主張するのには大変なエネルギーが必要になるであろうし、実際に、ある原作者が「人間が暴走機関車を止めるようなもの」と表現されています。
まだ撮影が動き出す前に、脚本を作成することで、色々な問題が起こりづらいものになるのではと想像しますし、今回の件の再発防止策を考えていくに当たって、法律を変えるようなハードなものや、関係者の意識向上に委ねる曖昧なものよりも、脚本の工程を社内で規定するだけで済むようなもののほうが、実現可能性が高いように思います(あるいは原作者又は出版社が、脚本完成前の撮影を禁止する契約を申し出た方がいいか、わかりませんが)が、何分素人ですので、先生のお考えをお伺いしたくコメントさせていただきました。
BA様
コメントをいただき、ありがとうございます。
とても鋭い指摘だと思います。
「脚本を作ってから制作に入る」……これができれば理想的だと思います。
しかし、正直言っていまのテレビではこれは難しいと言わざるを得ないのが現状です。脚本を脚本家さんに書いてもらうためには多額の先行投資が必要になります。1本100万を超える金額×話数となると、レギュラー話数が少ないテレ東でも1,000万円近くになります。2時間などのスペシャルはいまは少なくなりましたが、この場合だと数百万。さらには時間も必要になります。だいたいレギュラー番組の企画は企画内容と同時にキャストを決めるかもしくはキャストの方が先に決まっている場合多いですが、このキャストのスケジュールの「ケツ合わせ」という制約もあるでしょう。いまのテレビの馬車馬のようなサイクルからすると、とても現実的ではありません。しかし、これは「いまの現状」であって、BAさんが指摘される方法がベターなのは間違いありません。
いまから話すことは異例中の異例ですが、私は過去にこの方法でドラマ制作をおこなったことが2回あります。1回目は『ミッドナイト・ジャーナル』というドラマです。これは本城雅人さん原作の小説のドラマですが、このときは「こういう方法をやっていかないと新しいドラマは開発できない」と局内をなかば強引に説得して、脚本家の羽原大介さんにお願いして脚本を先に作ってから主役をキャストしました。当時の上司に理解があったことと、羽原さんが「ドラマ化は決まっていないが、そうしたいと思っている。脚本料は払うのでこういった試みに乗ってほしい」という私のお願いを快く受け入れてくれたことが幸いとなりました。2回目は『二つの祖国』のときで、ご存知のようにこちらは山崎豊子さん原作ですが、映像化の条件が最初から「脚本化してその脚本で合意してから」というものだったので、これも社内を説得して出版社とオプション契約を結びました。費用は掛かるし、キャストは最終決定できない、社内でも企画最終GOにはなっていないという状態が1年以上も続いて、胃が痛い日々でした。以上のように、かなり強引な交渉をおこなうか、やんごとない事情がない場合は、こういった方法は通常的ではありません。
私は先刻のプレジデントオンラインの寄稿で今回の時間を受けた提言として、「オリジナル脚本の作品を増やすこと」を挙げましたが、BAさんが仰るように、もうひとつ「原作モノのドラマの場合には、脚本を作ってから制作に入る」ということを提言したいと思っています。前述したようにこれはとても難しいことですが、両方を合わせて考えると、「これができないようなら、安易に原作に手を出すべきではない」ということです。プロデューサー、そしてテレビ局はそういう覚悟で挑んでほしいと願っています。
以上、BAさんのコメントに感謝して、長々となりましたがお答えさせていただきます。今後ともこのHP含め、応援をよろしくお願いいたします。田淵俊彦 拝
大変お忙しい中、素人にも分かりやすく事例まで含めて解説頂き感激しました、ありがとうございました。大変参考になりました。
これからも応援しています!
BA様
回りくどい説明で失礼致しました。
今後も何かご不明点や疑問などがあれば、お気軽にコメントしていただければと思います。
政治も選挙も社会問題もですが、「興味を持ってもってもらう」ことが大切だと思います。
そんな私ですが、応援よろしくお願いいたします。
田淵俊彦 拝