【思い出】「雪かき」をしながら、秘境アマゾンでの取材を思う

2月5日の東京は久しぶりの豪雪に見舞われ、都心でも1センチ以上の積雪となった。これはおととし2月11日に2センチを観測して以来だという。東京23区に大雪警報が出たのは去年2月10日以来である。
相変わらず「雪に弱い」という状況を露呈して、翌朝6日の交通はマヒ状態。我が家の長女の高校は休校、長男の中学は昼過ぎからの登校となった。
5日の私は、午前中に耳鼻科診療を済ませ、午後は在宅だったので、その日の夜中はある覚悟をしていた。
「雪かき」である。
うちの前の道路は小学生の通学路となっている。毎朝8時に元気な「おはよう!」という声が聞こえてきて、集団登校をする。当然、6日の朝に雪が積もっていると歩きにくい。「ヤバい」と思って、まずは5日の夜から準備に入った。19時……この段階で積もっている雪をまず除去しておくことが大切だ。雪かきしても数分後には積もってしまう勢いではあるが、翌朝の雪かきが全然違う。下地の雪がなくなっているので、アイスバー状態は防げるのだ。
しかし、私が雪かきをしていると、隣の方も出てきてしまった。ちょっと罪悪感。そりゃあ、お隣さんが雪かきしてたら自分もやらなきゃいけなくなるわなぁ。迷惑だった。自分よがりだったと、反省。


そして翌朝6時、カーテンを開けると雪はやんでいるが、道路は白一面。
まだ、早い……いまやると迷惑だ。7時まで我慢していざ始めようと思ったとき、「しまった!先を越された」。女性の方が、小学生たちが通るであろう道だけをスコップで作っていた。遅かったか! 私も飛び出して、雪かきをする。しばらくすると腰が痛くなってきた。私は椎間板ヘルニアをやっていて、腰に巨大なチタンが埋め込まれている。
「楽しい、楽しい、楽しい」
私は自分に言い聞かせて、雪かきを楽しもうとした。楽しむしかない。これを苦痛だと思ったら終わりだ。早くから通勤する人が「ありがとうございます」と言ってくれて、通り過ぎてゆく。これがせめてもの救いだ。小学生たちの笑顔を想像しながら、ひたすら頑張る。(しかし、これものちの息子の「雪があった方が子どもは嬉しいんじゃないの?」という指摘でぶっ飛んでしまったが)
そして、雪かきをしているうちに私は気がついた。これを雪国の人たちは冬の間、毎日のようにやっているのだと。雪の地域の方々にとっては、雪かきは楽しむものでもなんでもない。生きてゆくために必要に迫られて、〝仕方なく〟やっていることだ。
さらに急に、私の脳裏に秘境で訪れたアマゾンの人々のことが浮かんだ。
私は発展途上地域の取材をする際に、心がけていたことがある。それは「お邪魔している気持ちを忘れない」ということだ。それは「当事者意識」とも言い換えられるかもしれない。取材に訪れている自分たちを本位に考えてはいけない。彼らには彼らの日々の生活があって、食べてゆくだけで大変かもしれない。そんなところに、わがもの顔の日本人がやってきたら迷惑でしかない。基本的には、彼らは取材には来てほしくないのだ。そんなふうに考えておいた方がいい。
そんなようなことを、雪かきをしながら考えていた。
一時的に秘境の地に入った私には「珍しいものやこと」もあるだろう。しかし、彼らにとってはそれは「日常」であり、厳しい「現実」なのだ。
「雪かき」も同じだ。都会に住む私にとっては1年ぶりの〝珍しい〟雪でも、いまこのとき、雪に苦しんでいる、苦しまされている、雪国や被災地の人たちがいる。
それは忘れてはいけないのだと思った。

NHK「NEWS WEB」より

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