【今日の新聞から】初のファミレス「旧すかいらーく1号店」閉店とわが友・横川潤氏

日本初のファミレスとして54年前の1970年に開業した「旧すかいらーく1号店」、現在はガスト国立店が閉店したというニュースが新聞に載っていた。ここは、TMネットワークがそのグループ名を名付けた場所としてファンの間では「聖地」となっている。
すかいらーくと言えば、昭和の高度成長期に庶民の憧れだった洋食をメニューに揃えてその後の「ファミレス時代」の草分け的存在として、外食産業をけん引してきた。
私が子どものころ、生まれ故郷の龍野(現・たつの市)にはファミレスが1軒くらいしかなく、何かお祝い事でもないと食べることができなかった。いわゆる「お出かけ」のときの高級な場所だった。
すかいらーくは、1962年に東京のひばりが丘団地に横川4兄弟(端氏・亮氏・竟氏・紀夫氏)が食料品を扱うスーパー「ことぶき食品」を創業したのが始まりだ。「ジョナサン」「バーミヤン」「藍屋」「ガスト」など続々と新ブランドを設立したほか「小僧寿し本部」も傘下に収めて、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
外食産業の市場縮小と競争激化により同社の業績が悪化し、2008年に竟氏が社長を解任されたのと同時に横川4兄弟はすかいらーくの経営から退いている。このときの「創業者追い出し劇」に関しては私自身は言いたいこともあるが、長くなるのでここでは割愛する。
私が今日話したいのは、創業者一家の一員である横川潤氏のことだ。ちょうど、昨日20日に潤氏と会ったばかりだったので、今日のこの記事が目についたというわけである。潤氏は横川4兄弟の長男・端氏の息子。私とは大学1年のときからの友人だから、かれこれ40年以上の付き合いになる。結構気が合って、仲良くしてもらっている。
この潤氏はすごい人物だ。「器がでかい」という言葉がよくあてはまるだろう。潤氏は大学を卒業するときに、私に言った。
「このままだと、すかいらーくを継がされそうだから、逃げる」
そして、いきなりNYに行ってしまった。だが、単に遊びに行ったわけではなかった。ちゃんとニューヨーク大学経営大学院に進み、MBAを取得した。そして、アメリカの有力グルメガイド『ザガット・サーベイ』を翻訳して日本に初めて紹介し、『東京最高のレストラン』を企画、出版した。これはベストセラーとなり、日本における「グルメガイドのバイブル」となった。潤氏がランキングで多い星をつけると、店は流行り、行列ができた。まさに「流行を作り、食文化のいち時代を作った」人物である。
潤氏に関しては、思い出されるエピソードがある。大学時代のあるとき、潤氏が私に「地方巡業に行ってくる」と言った。何をしに行くのか、と聞いた私に潤氏は「地方のすかいらーくの味チェックに行く」と答えた。自分は面が割れてないからという。私が「味チェックと言うけど、ファミレスなんだから全部同じ味でしょ?」と尋ねると、「同じ味になっているかどうかが大事なんだ」と答えた。「なるほど」と思った。
そして最後に、昨日、潤氏と私がなぜ会ったのかということだが、これは私のこのHPを読んでいる方はおわかりだろう。潤氏の亜細亜大学・横川ゼミと私の桜美林大学・田淵ゼミは来年度もコラボをしてスースーチャイヨー社との「産学連携」をおこなう。その撮影が昨日から始まった。来年度はまたさらにグレードアップした新たな挑戦をする。こちらに関しても、今後「活動報告」をしてゆくので、お楽しみにお待ちいただきたい。

「東京新聞TOKYO web」より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です