【今日の新聞から】議会での呼称問題に物申す!ジャニーズタレントの「君」呼びの理由

東京都品川区議会は今回開会した定例会から議場での議員の呼び方を「君」から「議員」に変えたという。「今は学校でも教員が全児童を『さん』づけで呼んでいる」というのが理由だというが、私はこのことに異議を唱えたい。


そもそもそのきっかけが「お粗末」だと感じた。議会を見学に来た小学生たちが「議長が議員を『〇〇君』と呼ぶのが不思議だった」「気になった」と言ったことからだというが、なぜ大人は「議会で『君』を使うのか」を説明してあげないのか。子どもたちの声に耳を傾けるのはもちろん、いいことだ。だが、ちゃんと事実を教えてあげるのも大人の役目ではないか。その役目と責任を放棄していると思った。

「君づけ」の理由は、議会が男性社会だったころの名残ではない。国会の衆参両院の規則では「議員は互いに敬称を使わなければならない」されているからだ。参院先例録には「互いの敬称として『君』を用いる」と明記されている。議長や委員長が本会議などで「内閣総理大臣、岸田文雄君」と指名するのはこのためだ。そう、「敬称」なのだ。


また、男性だけを上に見て「君」を使っているのでもない。「君」という敬称を使い始めたのは、松下村塾の吉田松陰だと言われている。松下村塾には、武士や商人、農民などさまざまな身分や地位の人が集い、学んでいた。士農工商の身分制度が根強い当時は、武士は身分が下の者を「殿」と呼び、下の者は上の者を「様」と呼んでいた。そのため、何となく下の者がものを言いにくい風潮があった。それを解消し「塾内での健全な議論を促すために」呼称を統一したのだ。どんな身分でもお互いを尊敬しあえるようにと、「主君」から「君」を思いついたという。

そして明治になり、日本で最初の国会が開かれる。そこで「君」を導入したのは、松下村塾出身で吉田松陰の教え子であった初代総理大臣、伊藤博文だった。

そのような歴史も含め、なぜ子どもたちに伝えようとしないのか。そんな大人が議員だとは、先が思いやられる。

そして私は、今日のこの記事から、旧ジャニーズ事務所の「君」呼称を思い起こした。私が「ジャニ担」としてADをやっていたことは再三、このHPでも自著『混沌時代の新・テレビ論』でも述べている。旧ジャニーズのタレントたちは年齢に関係なく、互いを「君」呼びする。当然、私に対しても「田淵君」だ。最初は違和感があったが、逆に気さくになんでも話してくれるきっかけとなっている気がして、気分も楽だった。あとになって、ジャニー氏が吉田松陰と同じような理由でタレントたちに「君」呼びをさせているということを聞いた。
性加害事件はいただけないが、ジャニー氏という人はそういったフラットなところがあった。当時、男性優位の社会でも「皆、対等」というアメリカナイズされた考え方を持っていた。特に芸能界は「先輩を立てる」だったり、「先輩に歯向かえない」という風潮があった。そんな悪しき慣習に負けるなという意図があったのだろう。
その効果があったのかどうかはわからないが、旧ジャニーズのタレントたちは、私にもはっきり、時には「ずけずけ」と思えるほど意見や思っていることを言ってきていた。
そんなことまで、今日の記事から思い起こした。
*(お断り)上記の文章はジャニー喜多川氏の性加害行為を擁護するものではありません。

「gooニュース」より

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