【今日の新聞から】社会の「規範」となるべき人たちの「良識のなさ」に呆れる
社会の「規範」や「見本」となるべき人たちの失言や愚行が目立っている。
昨日は静岡県の川勝平太知事の失言問題だ。新入職員への訓示のなかで、職業差別ともとらえられかねない発言をして、辞意を表明したことは周知のことだ。川勝氏は過去にも、「あちらはコシヒカリしかない」や「男の子は、お母さんに育てられる」「磐田は浜松より文化が高かった」などの失言で、物議を醸している。
これらの川勝氏の発言を見てみると、「何かを表現しようとするときに、ほかのものを引き合いに出す」という特徴が伺える。
川勝氏は教育者畑の人だ。かつて日本では「相対評価」をおこない、「ほかの〇〇に負けるな!」と教育されてきた。試験の方式や解答も「ほかのものと比較して、正解を割りだす」傾向があった。しかし、多様性とVUCAの時代になったいま、その考え方では問題に太刀打ちできない。それが教育者の川勝氏にはわかっていないのかと驚くと同時に、悲しくなる。
そして今日は、仙台高裁の岡口基一判事だ。ご存知のように、SNSで殺人事件の遺族を傷つける投稿をしたとして起訴され、弾効裁判で罷免された。岡口氏は9日後の12日に任期を終えることになっていた。それを待たずしての罷免が適切だったかどうかはさて置き、なぜもっと「想像力」を働かせることができなかったのか。
自分の発言によって、どれだけ遺族を苦しめるのかということが想像できれば、「市民派」と言われ庶民に寄り添う判決を下してきた岡口氏なら、やってはいけないこともわかったはずだ。
「想像力の欠如」
これはいま、社会に蔓延している。私は大学でことあるごとに学生たちにこの「想像力」の大切さを述べているが、インターネットの急激な発展で「考えること」をやめた人たちがますます増えるのではないかと危惧している。
「TBS NEW DIG」より