【今日のタブチ】追悼:人生の「大事なこと」は、ほとんど仲代達矢氏に教えてもらった②――《カナヅチ》の仲代氏が、56時間も漁船に揺られた理由
今日の新聞には、東海テレビ会長のセクハラ疑惑、名古屋主婦殺害事件で夫の心境を綴った記事、好調なアニメ業界の人材不足問題、高市首相の「トンデモ改憲発言」など、気になる話題が並んでいる。
しかし、寝ても覚めても私の頭から離れないのは、仲代達矢氏の訃報だ。
それほど、私にとって仲代氏の存在は大きかったのだと、改めて実感している。
「追悼:人生の『大事なこと』は、ほとんど仲代達矢氏に教えてもらった①」で書いたように、私が仲代氏に初めて出会ったのは30そこらのころ。いまから約30年前だ。当時の仲代氏は、いまの私と同じ年齢だった。そのことに不思議な“縁”を感じる。
「いつの間にそんな歳月が経ってしまったのか」と感無量だが、仲代氏は私にとって“父親代わり”のような存在だった。開局35周年記念番組という大きな仕事をやり遂げ、編集を残すタイミングで私は結婚式を挙げた。仲代氏はその主賓を引き受けてくれ、田舎から来た父に「田淵さんはしっかりやってますよ」と声をかけてくれた。結婚式のあと、妻を含め3人で食事をしたときには「お父さんは遠くにいらっしゃるので心配でしょう。いつでも頼ってください」と言ってくれた。優しい気遣いの言葉だった。
ロケのエピソードは、本当に本が何冊も書けるほどある。今日は、そのひとつを紹介しよう。
最初に語るべきは、何と言っても「カナヅチ」ばなしだ。
当該の番組は、縄文人が海を渡ってのではないかという仮説を実証するものだから、当然、「海の旅」の撮影がベースとなる。あるとき、私は、縄文人が「スターナビゲーション」という星や天空の様子をもとに船旅をできたということを実証するためには、実際にやってみるしかないという“常軌を逸した”ことを思い立った。そして、実際にコンパスなどの計器を一切使うことなく航海をした、ホクレア号の船長のレッパン氏を船頭にして、そんな航海の様子を撮影することにした。
ヤップ島からサタワル島まで、56時間の旅である。56時間と言えば、2日間以上だ。
想像してほしい。いまでこそスマホもPCもある。当時は、すべてない。日本にインターネットがやっと普及し始めたのは1995年。撮影はそんな真っただ中だ。船に乗ってしまえば、どうなるかは、スターナビゲーションの名手・レッパン氏に任せるしかない。
船の上で56時間……想像できるだろうか。寝ても覚めても、大海原。いつ島に着くのか、まったく情報もない。信じるしかない。そんな環境の中で、日本人スタッフは(船なので、重量制限もあり)仲代氏、私、もうひとりのディレクター桧山氏、仲代氏の付き人の中山研氏、そしてカメラマンの池田氏とアシスタントの6名である。
桧山氏や中山氏は、小さな漁船の木の葉のように揺れる甲板で、びしょぬれになりながら、その時間を過ごしていた。仲代さんと私は、申し訳ないと思いながら、少し優遇してもらった高めの場所に居座ることにした。しかし、そこも屋根がない露天である。
「世界のナカダイ」をそんな宿に泊めるなんて申し訳ないと思いながら、私はワクワクしていた。いい絵が撮れるというディレクターの本性というか、習性が鎌首をもたげていた。そして案の定、海は大しけ。船は木の葉のごとく揺れ、今にも転覆しそうな状況になった。もちろん、一度ではない。56時間の間にいつ何時それが来るかは予測できない。寝ていても、急に船が揺れ始める。
そしてあるとき、完全に夢の中にいたとき、船が大きく揺れた。その瞬間、仲代氏の身体が私の上にのしかかってきた。私が仲代氏に「大丈夫ですか!」というと同時に、仲代氏はしゅっと身体を起こし、「すみません、田淵さん。私はそういう趣味はないので、ご安心ください」と言った。
この極限状態で、相手を気遣いながら冗談を言える仲代氏の余裕に、私は心底感服した。
非常時ほど、人間の本性は出るものだ。私は多少、極限状態でのドキュメンタリーの経験があったが、仲代氏は「人生初」の経験だ。そんな状態で、よくも相手を気遣う言葉をかけられるものだと私は感服した。
撮影も終わり、ナレーション録音のとき。語り部は、無名塾出身の役所広司氏であった。そして、私はこのあと驚愕の事実を知ることになる。
ナレ録りが小休止したとき、役所氏が話した言葉は……。
「田淵さん、大変だったでしょう。海の番組だけど、仲代さん、カナヅチだから」
私は身が凍る思いだった。そんな事実は知らなかったからだ。
今思えば、「なぜそのことを事前に私に話さなかったのか」と仲代氏に聞いてみたい気もする。でも、その答えを聞かないままであることも、私にとっては「宝物」であると思っている。
なぜ、仲代氏がご自身の「カナヅチ」を私に話さなかったのか。それは訊いたことがないので、今となっては謎だが、私はこう考えている。
1.仲代氏は、私がリミッターをかけることを気にした……もし私が、仲代さんがカナヅチであることを知ってしまったら、先に述べたような56時間の船旅のようなことをさせられなかっただろう。それどころか、その度ごとに仲代氏の水辺のシーンにナーバスになり、「自己規制」があったかもしれない。それを仲代氏は知っていたのだ。
2.仲代氏のプライドだった……海を舞台にした番組に出演承諾をしたのに「泳げない」とは、プロとして恥ずかしい。そんなことは言えないというプライド。仲代氏であれば、「泳ぎの達者な仲代達矢」を演じることも可能だっただろう。
仲代氏のエピソードは語りつくせない。そしてそのすべてのスケールが大きい。
次に続く。


