【今日のタブチ】桜美林大学で育てる《考える力》――『Z家族』から読み解く「家族」と「教育」の未来

今日は大晦日。皆さんはどんな年末を過ごしているだろうか。街は静まり返り、テレビからは特番の音が流れ、今年を振り返る空気が漂っている。

今朝の新聞にも興味深い話題が並んでいた。特に目を引いたのは「ヒグマの眼球で食性把握」という記事だ。眼球の水晶体は一生を通じて成長し続け、細胞が外に排出されないという。知らなかった……。そのため、ヒグマの死んだ個体の古い細胞を分析することで、過去の食性の変遷を確認できるらしい。科学の進歩は、こうした自然界の謎を少しずつ解き明かしていく。ヒグマの生態を知ることは、人間社会との共存を考えるうえでも重要だろう。

だが、今日はその話題ではなく、年末らしく「家族」について考えてみたい。先日、博報堂生活総合研究所の『Z家族 データが示す「若者と親」の近すぎる関係』という本を読んだ。Z世代と呼ばれる若者たちの家族観をデータで分析した一冊だ。ネット社会の進展で、親と子どもの距離は昔より近くなっているという。意外にも、若者たちは家族との時間を大切にしているらしい。これは、かつて「親離れ」「子離れ」が強調されていた時代とは対照的だ。
そういえば、うちの家族も結構仲がいい。そして娘や息子は妻にべったりだ。

興味深かったのは「メンター・ペアレンツ」という言葉。母親をメンター(助言者、相談役)として見る傾向があるという。単なる保護者ではなく、人生やキャリアの方向性を示す存在として母親を捉えるのだ。一方、父親は「チューター」(家庭教師や指導者)として、問題解決型のやりとりをすることが多いらしい。逆に言えば、そういう父親像が望まれているということだ。ここに、現代の家族像の変化が見える。私もそうあらねばと肝に銘じる。

大学で学生と接する上でも参考になる点が多かった。今の若者は想像する力が弱く、指示を待つタイプが多い。そのため、適格な指示やアドバイスをした方がいいというのは腑に落ちた。私も常日頃、学生から相談を受けた際には、曖昧な表現を避け、適格にアドバイスしつつも、押し付けないようにしている。「こうしてみてはどうかな?」とか「こう思うけど、どう?」と問いかけることで、考える力を促すようにしている。これは、家庭における親の役割とも重なる。指示を出すだけではなく、子どもが自分で考える余地を残すことが重要だ。

桜美林大学での私の教育ポリシーも、この考え方に沿っている。私は授業やゼミで、学生に「正解」を与えるのではなく、問いを投げかけることを重視している。なぜなら、社会に出れば、誰も正解を教えてくれないからだ。自分で考え、判断し、行動する力を育てることが、大学教育の使命だと考えている。そして、私が常に学生に伝えているのは、「答えはいくつもある」ということと、「あなたの考えが答えになる」ということだ。唯一の正解を探すのではなく、自分の視点で世界を捉え、納得できる答えを導き出す力こそが、これからの時代に必要な力だ

この本は、親子の在り方、家族の在り方を考えるうえで役立つ一冊だった。家庭での役割分担は、子どもの成長に直結する。しかし、これは家庭だけの問題ではない。なぜなら、家庭で育まれる「考える力」は、学校や企業で求められる力と同じだからだ。だからこそ、家庭論を社会論へ広げる必要がある。
今後は、家庭だけでなく、社会や企業においても「メンター」と「チューター」の役割を明確化し、分担することが必要だ。企業では、メンターはキャリア形成や価値観の方向性を示す存在として、若手社員の成長を支える。一方、チューターは具体的なスキルや問題解決を指導する役割を担う。これは単なる人事施策ではなく、働き方改革や人材育成戦略の中核になるべきだ。
教育現場でも同様だ。学校や大学は「答えを与える場」から「問いを投げかける場」へ転換しなければならない。若者が指示待ちになり、想像力を失っている現状を変えるには、社会全体で「考える力」を育てる仕組みが必要だ。企業の研修、地域活動、インターンシップなど、経験を積ませる場を増やし、失敗を許容する文化を作ることが不可欠だ。
つまり、メンターとチューターの役割分担は、家庭論にとどまらない。これは教育改革、企業の人材戦略、地域社会の再構築とつながる「社会課題」だ。未来の日本を支えるのは、指示待ちではなく、自ら考え、行動できる人材。そのために、家庭・学校・企業が一体となって「問いを投げかける文化」を育てることが急務だ。
年の瀬に、そういう思いを強くした。

「bookvinegar.」HPより

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