【今日のタブチ】マチャド氏“メダル贈呈”の意外な正体――ノーベル賞が政治の道具に堕ちたワケ

ベネズエラの野党指導者マリア・コリナ・マチャド氏がノーベル平和賞の受賞メダルをトランプ大統領に贈呈した行為が、世界的に批判と困惑を呼んでいる。
ノルウェーでは「前代未聞」との声が上がり、オスロ大学教授は「賞への敬意が欠如している」とまで指摘している。
マドゥロ政権の圧力下で、アメリカとの関係強化の必要性は理解できるにしても、受賞からわずか一年足らずのメダルを外交カードのように扱う姿勢には、どうしても軽率さが漂う。政治的立場を示すためにノーベル平和賞という象徴を使うことへの違和感が拭えない。

ノーベル賞委員会はすぐに声明を出し、「たとえメダルが誰の手に渡っても、受賞者は変わらない」と明言した。
規約上、メダルや賞状の扱いに制限はなく、譲渡も売却も自由だという。しかし同時に、賞の名誉そのものは譲渡不能であり、共有もできず、選考後は決定が永続するという原則を改めて強調した。
委員会がここまで“原則”を繰り返す背景には、受賞者自身の行動が賞の権威に影響することへの強い懸念があるはずだ。だが、政治的中立性を守るため「受賞者の行為にはコメントしない」という姿勢を崩さないため、踏み込んだ批判を避けているようにも見える。

ノーベル賞メダルを手放した例は過去にも存在する。
ロシアのジャーナリスト、ドミトリー・ムラトフ氏は自身の平和賞メダルを1億3,500万ドルで売却し、全額をウクライナ難民のために寄付した
コフィ・アナン氏のメダルは夫人によって国連欧州本部に寄贈され、恒久展示となっている。
1920年のノーベル文学賞受賞者クヌート・ハムスン氏がナチスのゲッベルスにメダルを贈呈した歴史的事例もある。
ただし、これらはいずれも慈善目的、遺族の判断、歴史的背景など、文脈は大きく異なる。今回のように「生存する受賞者が受賞直後、現職大統領に政治的メッセージを添えて贈呈する」という行為は、報道でも“極めて稀”と表現されており、異例のことだ。

日本ではノーベル賞の受賞メダルを手放した例は確認されていない。日本国内でメダルが他者の手に渡ったケースといえば、オリンピック金メダルに関するものが中心だ。日本人選手が金メダルを紛失した事例(吉田義勝氏、小林孝至氏)はあるものの、いずれも後に本人の元に戻っており、第三者に譲渡・売却されたわけではない。
一方、世界に目を向けると、オリンピック金メダルを売却した例の多くは、寄付目的や経済的事情など、あくまで個人的な理由に基づくものだ。アトランタ五輪ボクシングのウラジミール・クリチコ氏は金メダルを100万ドル(約1億円)で売却し、その収益を子どもたちのスポーツ支援基金に寄付している。

こうして世界と日本の事例を見渡しても、メダルが政治的メッセージのために手渡されたケースはほとんど存在しない。今回の件は、規則上の問題ではなく、人としての“品格”と“モラル”の問題ではないかと私は思う。
賞とは、その人物に対して世界が与えた評価の象徴だ。その象徴を政治的な意思表示のために他者へ譲る行為は、賞の精神よりも自分の政治的立場を優先したと見えてしまう。ノーベル賞は本来、権力や政治から距離を置いたところで成立しているはずだ。だからこそ、受賞後の行為が賞そのものの意味を揺るがすことがある。
メダルは金属にすぎない。しかし、その金属には社会が託した「意味」がある。
今回のマチャド氏の行為は、その「意味」を改めて考えさせられた事件であり、問題提起であったと言えるだろう。

「テレ朝NEWS」より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です