【今日のタブチ】スキー授業が消えていく──札幌の現状と、あの“嫌で嫌で仕方なかった”高校時代の記憶

スキー授業を取りやめる札幌市立の中学校が増えているという記事を読んだ。10年前は、9割がスキー場で授業をおこなっていたが、徐々に減り、今冬に実施を予定しているのは5割弱だという。貸し切りバスの確保が難しくなっていること、物価高騰でスキー用具やリフト券を購入する保護者の負担が重くなっていることが主な理由とされている。加えて、指導できる教員の不足もあるだろう。

札幌市に限った話ではない。札幌市を除く道内全体を見ても、24年度のスキー授業実施率は、公立中学校で51%、公立小学校で62%と、ほぼ同じ水準にまで落ち込んでいる。
貸し切りバスの確保が難しくなっている背景には、近年のいわゆる観光需要の高まりがある。運転手不足も深刻で、バス会社としては、収益性の高い観光ツアーを優先せざるを得ない事情も理解できる。商売なのだから、という理屈も成り立つだろう。だが、スキーの授業は教育だ。生徒に対する教育の質の担保という意味でも、教育目的の移動には、できる限り協力してもらえないものかと思ってしまう。そう考えるのは、勝手な言い分だろうか。

一方で、保護者の立場から見れば、致し方ない面もある。「中止になって助かった」と感じる家庭も少なくないだろう。小学生や中学生は成長が著しい。スキー靴やウェア、板まで含めると、道具はほぼ毎年買い替えが必要になる。物価高の今の時代、その負担が軽いとは言えない。市の教育委員会が、使用済みスキー用具を無料でリサイクル譲渡していると知り、少し安心した。

では、北海道以外ではどうなのか。調べてみると、本州でもスキー授業を実施している自治体は少なくない。長野県や新潟県、山形県などの豪雪地帯では、現在も小中学校でスキー授業をおこなっている例が多く見られる。ただし、必修ではなく選択制に移行したり、校外での実地授業を減らして校内活動に切り替えたりする動きも目立つ。全国的に見れば、スキー授業は「なくなっている」のではなく、「形を変えながら縮小している」と言った方が正確なのかもしれない。

スキー授業の是非を一概に決めつけることはできない。体験の機会をどう確保するか、負担を誰がどこまで引き受けるのか。教育の現場が抱えている問題は単純ではない

スキー授業ではないが、私にはスキー合宿の思い出がある。高校時代、修学旅行で志賀高原まで行き、数日間スキー漬けになるという行程だった。私はこれが嫌で嫌で仕方がなかった。理由は三つある。

第一に、団体行動がとにかく苦手だったこと。当時の私は、対人関係の距離の取り方が極端で、コミュニケーションに強い偏りがあった。すごく仲のいい友だちとはベッタリだが、興味のない相手とはほとんど話さない。そんな調子で、修学旅行が楽しいわけがない。

第二に、極度の“ウンチ(運動音痴)”だったことだ。転ぶ、立てない、置いていかれる。そのたびに惨めな気持ちになり、「金まで払って、なんでこんなつらい思いをしなければならないんだ」と本気で恨んでいた。

第三に、服装である。わが校のルールで、修学旅行中は体操服で行動しなければならなかった。その体操服がまた、ワインレッドと言うか、えんじ寄りの赤というか、変に目立つわりに、とにかく野暮ったい色で非常にダサい。しかも上下とも……。色気づきはじめた年頃には、恥ずかしくてたまらなかった。

だから、私にとってスキー合宿は、できれば消してしまいたい記憶だった。ところが最近、高校時代の友人が、そのスキー旅行のときに撮った写真を送ってきてくれた(※添付写真参照)。自分が嫌っていた体験が、誰かの記憶のなかでは、こうして残っていたのだと思うと、不思議な気持ちになった。

案外、悪いことだけでもなかったのかもしれない。

その当時は「嫌で嫌で仕方がなかった」ことが、時間を経て思い出に変わることは、確かにある。そう考えると、スキーの授業も、子どもたちにとっては、将来ふと思い出す一コマになる可能性を持っている。それが、さまざまな事情で失われていくのは、やはり忍びない。

子どもたちの思い出を残してあげることもまた、大人の役目なのではないか。そう思えてならない。

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