【お知らせ】桜美林大学・能祖ゼミ公演「ゼミ生の声」──それを“美談”にしない理由
毎年、この公演を観る時期が来ると、「ああ、1年経ったんだな」と思う。そんな恒例の能祖ゼミ公演「ゼミ生の声」。毎年、パワーアップしているように感じるが、今年度も素晴らしかった。
この能祖ゼミの「ゼミ生の声」とは、桜美林大学の芸術文化学群演劇・ダンス専修で能祖将夫氏の指導を受けるゼミ生たちが、自身の人生における喜怒哀楽を歌、ダンス、演劇で表現するドキュメンタリー形式のパフォーマンス公演である。なお、本公演は明日1月25日まで上演予定だ。☛https://x.com/nousozemi22937/status/2005112437855715759
1年間を通して、各自が自分の「人生エピソード」を掘り下げ、仲間と共に創り上げる集大成の舞台。例えば、『遺書』(2023年)、『私はゼッタイ大丈夫』(2024年)などのテーマで、「小学生」から始まり現在の「大学生」までを、演劇、歌、ダンスなどを交えて表現する。そして今年度は、『あんな日と、こんなヒト』と『からくり仕掛けのぴょにぴょにらいふ』の2テーマ。私は今日、前者の回を観劇した。
驚いたのは、演目のエピソードはすべてゼミ生一人一人の人生に起きた実話だという。
失礼ながら私は、終演後に能祖氏に「先生が脚色していますか?」「脚本を書いて、『この出来事の主人公になったように演じて』と言ってますか?」と聞いてしまったが、もちろん、そうではない。
だが、本当に個性豊かなゼミ生たちの経験談は、ドラマになるほどの波乱万丈だ。「普通になる」ことを押し付けるパパに悩む人、コロナが明けて電車に乗れなくなった人、自閉症の兄を「嫌いだ」と言い切る人、恋をした同性の友人がある日急にいなくなってしまった人、地下アイドルをやっていた人……ものすごい経験をした人たちが、よくもひとつのゼミに集まったものだと感心し、同時に感激した。
演劇の間に挟まるダンスや歌がまた絶妙かつ、見事で、10分の休憩をはさんで約2時間半以上の公演だが、あっという間に時間が過ぎた。
なかでも、印象に残ったのが、共感覚を持つ人の話だ。
「共感覚」別名「シナスタジア」は、文字に色を感じる、音に味を感じるなど、一つの感覚刺激に対し別の感覚が自動的に引き起こされる知覚現象である。病気や障害ではなく、人口の数%〜数百人に1人程度に見られる脳の自然な神経学的変異とされている。
共感覚には、いろいろあり、音楽を聴くと色が見えたり、特定の単語を聞くと味を感じたり、 数字や文字に性別や性格があるように感じるものもあるが、本公演の学生は数字や文字に色が見えたり、人の周りに色が見えたりするケースだった。ゴッホやビリー・ジョエル、スティービー・ワンダー、ビヨンセなどもこの感覚を持つ。
そして、このゼミ生たちの実話に共通していることがある。ある自分の経験を悩み、苦しみ、葛藤し、それでも前に進んできているという点だ。
この公演が心を打つのは、そうした経験を「美談」にしていないからだ。
傷や迷いは、きれいに整理されることなく、そのまま舞台上にさらけ出される。例えば、自閉症の兄を「嫌いだ」と言い切るゼミ生の語りもそうだ。その感情を「本当は優しい」「愛情の裏返し」と回収しない。兄を嫌いだと思ってしまう自分はどうなのか、その自分を抱えたまま、どう生きているのか。きれいな答えは提示されず、その問いがそのまま観客に投げ返される。
これは、苦難を乗り越えた話というよりも、「自分はどういう人間なのか」を真正面から自己投影した記録なのだ。他人の人生を観ているはずなのに、いつのまにか自分の一年、自分の選択や感情の置きどころを振り返らされている。不思議な舞台だ。
そう考えると、この公演は単なる発表会でも、完成度の高い舞台作品でもない。ゼミ生たちがそれぞれの一年をどう生き、どう言葉にし、どう身体に落とし込んできたかを、そのまま可視化した「時間」なのだと思う。この時期にこの公演を観ると、「一年が経った」のではなく、「一年をちゃんと生きた人たちが、ここに立っている」と実感させられる。
毎年パワーアップしているように感じるのは、才能が揃っているからではない。信頼と対話と時間を積み重ねるという、教育として最も地味で、最も困難なプロセスが、確実に更新され続けているからだ。今年度の能祖ゼミ公演「ゼミ生の声」も、胸に深く残る時間だった。だから私は来年もまたこの時期に、「ああ、一年経ったんだな」と思いながら、同じ席に座っている気がする。


