【今日のタブチ】アニメ療法と3億円のウォーホル──なぜ私たちは、アートを“受け取る準備”ができていないのか

今日の新聞には、別々の記事やコラムでありながら、共通するテーマを見いだすことができた。
「アートによる学而事人(がくじじじん)」である。

まず目に留まったのは、アートを通じた自己探求を広めるNPO法人EduArtの代表理事、望月実音子氏の取り組みだ。望月氏は、横浜創英中学・高等学校の高校1年生の選択美術で外部講師として授業を行っている。授業名は「The ART of INQUIRY──自分と社会と未来をつなぐ50の問い」。「何歳の時の自分が好き?」「あなたにとって真の成功とは?」といった正解のない問いが次々に投げかけられ、生徒たちは考える間もなく、クレヨンや絵の具を使って直感的に描いていく。あとから絵を見返し、そこに現れた感情や価値観について考える構成だ。望月氏はこの方法を「直感的描画法」と呼ぶ。
学校の記録には、生徒から「こんな美術の授業は初めて」「何も考えずに描くことで、逆に知らなかった自分に気づいた」「考えてから描くのではなく、描いてから考えるのが新鮮だった」といった声が寄せられている。現在までのところ、新聞や公式資料で確認できる実践の中心は高校段階であり、大学の正規授業として導入された事例はまだ報じられていないが、アートには正解がなく、完成した作品以上に、その過程に価値がある。「自分自身の可能性に気づく機会になる」という意味で、大学の授業に取り入れてもいいのではないかと思った。

もう一つは、「アニメ療法」の記事である。正直、そんな療法があるとは知らなかった。横浜市立大学などの研究チームが、社会で生きづらさを抱える若者を対象に、アニメのキャラクターが悩みを聴くカウンセリングの実証実験を始めたという。カウンセリングにアニメを用いる試みは、記事によれば全国で初だ。
この「アニメ療法」を考案したのは、イタリア出身で日本とイタリア双方の医師資格を持つ精神科医、パントー・フランチェスコ氏だ。日本のアニメや漫画、ゲーム文化に幼少期から強く影響を受け、それらの物語体験が自身の心を支えてきた経験をもとに、精神医療の一手法である「物語療法」を日本のアニメに応用した。アニメのキャラクターや物語に感情移入することで、自身の悩みや葛藤を間接的に見つめ直し、言葉にしにくい感情のハードルを下げる。その理論を「アニメ療法」と名づけ、2022年には同名の著書を刊行している。
今回、横浜市立大学などの研究チームが始めた実証実験は、パントー氏の理論を臨床的に検証しようとする試みであり、日本のアニメ文化を治療資源として本格的に位置づけようとする初の取り組みだ。背景や葛藤が丁寧に描かれている日本のアニメキャラクターは共感性が高く、感情移入しやすいという。心理職が変声機を使ってキャラクターを演じ、参加者と対話を重ねると知り、そこは少し安心した。
責任者の石井美緒助教は、精神疾患の約75%が24歳以下で発症する一方、若者が医療機関を受診する割合は低い現状を指摘し、「新たな選択肢になれば」と期待を寄せていた。

どちらも、「アートによる学而事人」の実践例といえるだろう。
だがその一方で、アートに対する社会的な理解の低さも、同じ新聞の中で露わになっていた。

鳥取県立美術館が、アンディ・ウォーホル氏の代表作《ブリロの箱》を3億円で購入したことをめぐる一件である。高額すぎるのではないかという声が相次ぎ、県は作品の保有の是非を問うアンケートを実施した。手放す可能性も取り沙汰されたが、結果は肯定的な回答が57.3%を占め、保有は継続されることになった。
公平性を担保するためにアンケートという手法を取ったこと自体は理解できる。だが、私は正直、「これは危険ではないか」と感じた。美術館の自治性を大きく侵しかねない行為だからだ。「無駄遣いだ」という声に過度に引きずられれば、地域の芸術は確実に痩せていく。

その理解を支えるために必要なのは、やはり教育だろう。芸術を「分からないまま」受け止めたり、鑑賞を通して知識や感性を育てたりする機会だ。しかし現実には、美術(図画工作)の授業時数は1970年代の年間約100時間から現在は約60時間程度へと大きく削減されてきた。また全国調査では、鑑賞学習が十分に行えない要因として「授業時数不足」を挙げる教員が約8割にのぼり、作品をじっくり見て考える鑑賞の時間が確保されにくい状況が数量的にも示されている。
「先が見えない時代だからアートが必要だ」と言うのは簡単だ。だが、新聞に並んだこれらの記事を読んで思うのは、もっと単純なことだ。
アートを社会に生かそうとする試みは、すでに始まっている。だが、美術教育の時間が長期的に削減され、鑑賞の経験が十分に保障されてこなかった社会が、その価値を引き受ける側としてどこまで成熟しているのかは、慎重に問われなければならない。

「読売新聞オンライン」より

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