Mrs.GREEN APPLEのMV炎上に見る音楽業界構造の欠陥ー「教養の欠如」というが、なぜこんなことが連続して起こるのか

Mrs.GREEN APPLEのMV『コロンブス』が炎上した事件は皆さんもご存じのところだろう。ここには知っておくべき「教養の欠如」「常識の欠落」があったことは明らかであるが、なぜこのような「教養の欠如」「常識の欠落」が起こったのかという原因まで究明されていない。そこで、今日のこの記事ではその根本的な原因に迫ってみたい。

これまでこういったマスコミ人やメディア人などの情報発信をする人間が知っておくべき「教養の欠如」「常識の欠落」によって事件化した問題は多くある。私が自著『混沌時代の新・メディア論』のなかでも指摘している日テレのアイヌ問題、女性アイドルグループ「欅坂46」のナチス軍服事件など枚挙にいとまがない。なぜこんなに次々と同じような事件が起こるのだろうか。これはもちろん、制作現場のモラル低下、一般常識や歴史観への関心の低さから来ているかが、原因はもっと根深いところにある。それは大きく2つある。

1.日本の教育制度のミス
2.ネット社会の罪

まず1.の「日本の教育制度のミス」だが、日本の教育はたくさんの答えのなかから「正解を求める」ことやいかにものごとを効率よくこなすかという能力を養うことに終始してきた。ここには戦後の高度成長期における成功体験があると私は考えている。「効率よく正解を見出す」ことで日本は敗戦から復活した。だから、それを至上主義としてきたのだ。そこにあるのは、極端なまでの「ナショナリズム」だ。極端に言えば、自分の国さえよければよい、まずは自国の発展が先だといった考え方を日本人は埋め込まれてきた。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という書籍が流行ったのもそれを裏付けている。そのため、他国や自国に関係ない世界の歴史や情勢については興味を抱かない、関心を持たないという傾向がある。今回の「コロンブス」に関する認識のなさもそういった偏った教育制度の弊害であると指摘しておきたい。
次に2.の「ネット社会の罪」だが、もちろん、ネットには「功」もある。しかし、昨今「功より罪」のほうが目立ち始めた。ネット社会の「ほころび」が出始めたのである。「かっこいい、かわいい」だけで流行る、「おもしろい」だけでバズる、そんな風潮で突っ走ってきたが、そろそろそういったことから脱却すべきときが来ている。今回のことに関しても、「何となく話題になるように」「バズる作りをしたほうがいいね」というようなネットでの反響を意識した考え方があったとは言えないだろうか。もちろん、いまのネット社会においてはこういった戦略がないことの方がおかしい。

そして私がさらに指摘したいのは、音楽業界構造の欠陥である。いま、音楽業界だけでなくこれはテレビ業界にも言えることなのだが、クリエイターよりアーティストや演者のほうが発言力が強い。ものごとを決定する権限も大きい。今回のMrs.GREEN APPLEの所属事務所は、ユニバーサル ミュージックアーティスツ内のProject-MGAである。事務所の力も強い。
クリエイターよりアーティストのほうが力が強いという構造の欠陥は何だろうか。
例えば、もしクリエイターやスタッフが「この表現はまずくないでしょうか」と言ったとしても、「そんなの考えすぎじゃない?」とアーティストに切り返されてしまうとそれ以上は強く言えないということが起こりうるのだ。もちろん、こういったやり取りが今回おこなわれていたという証拠はない。あくまでも一般論である。しかし、可能性のひとつとしてあり得るのではないだろうか。

以上、Mrs.GREEN APPLEのMV炎上に関して吟味をおこなったが、最後に大切なことを述べておきたい。今回の炎上事件で、現場やクリエイターが委縮してしまうと新しいコンテンツは生まれないし、業界全体の縮小につながる恐れがある。「なぜこういうことが起こったのか」という原因究明や「次に同じようなことが起こらないように」という対策は必要だが、必要以上のバッシングや批判には注意が必要である。

「Yahoo!ニュース」より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です