【今日のタブチ】米騒動の「小泉劇場」~「メディア・コントロール」に安易に加担するテレビの体たらく~「横並び主義」からの脱却を願う
コメの価格について、連日、小泉進次郎氏の「小泉劇場」が世間を騒がせているが、私にはこれが「何か知られたくないこと」を国民の目から背けようとしているように思えてならない。そしてこの策略にメディアが乗ってしまっている、いわゆる「メディア・コントロール」に陥っているように思えてならない。報道の焦点が小泉氏のパフォーマンスに集中することで、例えば、減反政策の失敗や備蓄米の大放出によって噴出している倉庫費用補填に国民の税金が使われるなどの、〝根本的な〟問題が見えにくくなっている可能性があるからだ。
「小泉劇場」は連日メディアを賑わせており、その影響力の大きさは否定できない。しかし、備蓄米の大規模放出による価格抑制の一方で、農家や農林族議員からの反発も強まっている。特に、備蓄米の随意契約による販売が始まり、一部地域では「5キロ2000円以下」の米が店頭に並び始めているとのことだが、これが長期的な食料安全保障にどう影響するかは十分に議論されていない。ましてや、テレビなどのメディアがこの議論の必要性を報道することもない。いまの米騒動におけるメディア報道は、「小泉劇場」といういわゆる〝派手で〟〝視聴率が稼げる〟ネタを「御用聞き」のように垂れ流しているに過ぎない。
テレビなどによる「小泉劇場」の過熱報道は、「農家の離反」を招きかねないと指摘したい。その理由を以下に述べる。
1.価格抑制による収益減少
小泉氏は「5キロ2000円」の目標を掲げ、備蓄米の随意契約による販売を進めている。今朝の新聞報道などでも、農家が考える価格設定は3000円台だ。ここには大きな乖離がある。しかし、小泉氏の政策によって市場価格が下がると、農家の収益が圧迫される可能性が高まる。
2.既存の農政からの大転換
これまでの農政は生産者重視の姿勢を取っていた。しかし、小泉氏の政策は消費者価格の抑制を優先するものだ。〝急激な〟舵切りはパフォーマンスとしては映えるが、この急転換によって農家の保護が後回しにされるとの懸念が広がっている。
3.食料安全保障への不安
小泉氏の主張は、一部の議員から「目先の対応はあっても、中長期的な食料安全保障の信念がない」と批判されている。「食料安全保障」とは、すべての人がいつでも十分な食料を確保できる状態を指す。単に食べ物があるだけでなく、栄養価が高く、安全で、持続可能な形で供給されることが重要だ。だが、小泉氏の「小泉劇場」には、環境に配慮しながら長期的に食料を生産できる仕組みを整えるという「持続可能な農業」というシナリオはない。これでは、農家の持続可能な経営が危ぶまれる状況に陥るだろう。
4.農業票の流出懸念
夏の参院選を控え、自民党内では「農業票が野党に流れる可能性がある」との危機感が高まっている。農家の支持を維持するために、生産者支援の拡充を求める声が強まっている。
以上の状況を踏まえると、農家の離反は単なる経済的な問題ではなく、農政の方向性の変化に対する反発とも言えるだろう。
米価抑制の必要性を認めつつも、生産者支援の拡充とどうバランスを取るか、それは決して〝派手〟ではないが、必要なことだ。そして私たち国民が本当に考えなければならないのは、単なる価格調整ではなく、農業全体の構造改革が必要であることではないか。そのためには、米の価格問題を単なる経済政策ではなく、社会構造の変革の一環として捉えなければならない。例えば、備蓄米の放出が一時的な価格調整にとどまらず、農業の流通システムや生産者の権利保護にどう影響するかを分析することで、より長期的な視点を持つことができるだろう。
そして、メディアの報道姿勢についても、可及的速やかな修正が必要だ。
まずは、単なる「政治劇」としてではなく、「情報の透明性」や「報道の独立性」という観点からの検証がされなければならない。例えば、過去の減反政策の失敗がどのように現在のコメ価格問題につながっているのかを解説する、政治家の発言だけでなく農家・消費者・経済学者などの異なる立場の意見を取り入れたバランスの取れた報道をおこなう、単に「速報」や「スクープ」を狙うだけではなくではなく、長期的な視点での分析や特集番組を増やす、などできることはたくさんあるはずだ。
他局がやればうちもやる……そんな「横並び主義」では、メディアの存在意義はない。
メディア、特に派手なパフォーマンスやネタに飛びつきがちなテレビに関わる人たちには、そう肝に銘じてほしい。
「Yahoo!ニュース」より