【最近の出来事から】VUCAの時代に「我先」の気持ちが招くこと

最近こういう出来事があった。
私は大学への出講にJR横浜線を利用している。ホームにたどり着いて、「二列乗車」のラインに並んだときのことだった。先にもう一列の方に並んでいた若者が「こら!」と声をあげてにらんできた。自分が並んでいるのに、私があとから来てその横に並んだことが気に入らなかったのだろう。
そして電車がやってきた。扉が開いても若者はスマホを見たまま、すぐに乗り込もうとしない。二列乗車で私も列の先頭にいたので、私の方が少し早く乗り込むようなかたちになった。するとその若者は「順番抜かし」をされたと思ったのか、「なんじゃぁ!こりゃー!!」と怒鳴り出したのだ。
自分がスマホばかり見ていて乗り込まなかっただけだろう! しかも、私はその人と同じ先頭にいるので「順番抜かし」をしているわけではないぞ! そういう気持ちを抑えて、「触らぬ神に祟りなし」と自分に言い聞かせ、心の中で「うわばら、くわばら」と唱えながら私は座席に着いた。少し離れたところに座った若者は、まだ私をにらんでいる。
けっして気持ちの良い出来事ではない。だが、それを思い出したのには理由がある。

羽田空港で日航機と海保の航空機が衝突した事故で、乗客乗員379人は手荷物をあきらめ、脱出を成功させた。「荷物は(荷物棚から)取らないでください」「上着だけは持っていっていいです」という客室乗務員の呼びかけに、乗客は身一つで脱出シューターを使い機外に出た。誰一人として、荷物を取り出そうとする人はいなかったという。この「奇跡の脱出劇」を可能にしたのは、こういった「我先」ではない謙虚なこころがけだったと私は評価している。
そんな事故と比較するのは不謹慎だが、横浜線のあのときの若者の心には「俺が先に並んでたんだから、俺が乗り込み終わるまで待ってろ!」という気持ちがあったのではないだろうか。だから私をにらみつけたり、怒声を放ったりしたのだ。
と同時に、私の心の中にも「早く座りたい」という「我先」の気持ちがなかったかと自省の念が生じる。その若者に対して「何だよ!」と思った私にも、きっと自己を優先させる不遜な思いがあった。
現代はテクノロジーの進化によって、あらゆるものを取り巻く環境が複雑さを増し、将来の予測が困難な状況にある。これは「VUCA(ブーカ)」の時代と呼ばれている。Vは「Volatility:変動性」、Uは「Uncertainty:不確実性」、Cは「Complexity:複雑性」、Aは「Ambiguity:曖昧性」をあらわし、「先行きが不透明で、将来の予測が困難な状態」を意味している。
そんなVUCAの時代においては、「我先」の気持ちをどれだけ抑えられるかが重要なポイントになるとつくずく感じる。

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