【今日のタブチ】なぜ政治家は、子どもたちは知っている「信頼」の重さを忘れるのか――第2次高市改造内閣を見て思い出した小学校の出来事

兵庫県の片田舎に神岡小学校という小さな学校がある。小学3年生の10人の仲良しグループがいた。しかし、あるとき、その中のふたりが仲間をいじめだした。目に余ったほかの子どもたちは皆で結託して、そのふたりをグループから追い出した。
しばらくして、そのふたりがやってきて、「反省をした。もうしない」と言って、もう一度グループに入れてほしいとお願いした。
「反省したのだから、もう問題ない」そう言う子もいた。しかし、別の子は首をかしげた。
「本当に反省したのかどうかは分からないんじゃない??」
子どもたちの間でそんな声が飛び交ったが、最後にはリーダー役の子どもが「そう言うのだから、十分に反省したんだろう。信じよう」と、ふたりを再び仲間に入れた。だが、1か月後、ふたりはまたいじめを始めてしまった。
これは私の子ども時代の本当にあった話である。

そんな話を思い出した。

第2次高市改造内閣が発足した。その顔ぶれを見ると、自民党派閥の政治資金問題で処分を受けた議員2人が新たに閣僚に起用されている。報道によれば、文部科学大臣に就任した関芳弘氏と、農林水産大臣に就任した簗和生氏である。
もちろん、私は、一度過ちを犯した人間は永久に公職から排除されるべきだと言うつもりはない。
人間は失敗する。失敗を反省し、やり直す機会も必要だ。
問題はそこではない。国民の多くが抱いている疑問は、「本当に信頼は回復したのか」ということではないだろうか。
裏金問題が発覚したとき、自民党は自ら処分を行った。それは、単なる事務手続きではないはずだ。政治的責任を問うためであり、国民に対して「問題を重く受け止めている」というメッセージを示すためだったはずである。ところが、その処分を受けた議員が比較的短期間のうちに入閣するのであれば、処分とはいったい何だったのだろうか

私は今回の人事について、「能力があるから登用した」という説明だけでは不十分だと思う。また、高市氏は選挙で当選したことを挙げ、「2回の選挙を通じて国政に送り出していただいた」と説明したが、私には、「選挙で有権者の審判を経ている」という説明に聞こえた。しかし、選挙で当選したことと、閣僚として国民の信頼を回復したことは同じではないだろう。
政治の世界では能力も重要だが、それ以上に信頼が重要だ。企業であれ学校であれ地域社会であれ、人は信頼によって集団を形成している。政治も同じだ。国民の信頼があって初めて成り立つ。だからこそ問われるべきは、「時間が経過したかどうか」ではなく、「信頼が回復したかどうか」である。信頼が回復したと判断したのであれば、その理由を説明する責任は入閣させた政府側にある。しかし、その説明が私には見えてこない。

私は、処分を受けた議員を入閣させること自体が問題だと言っているのではない。
なぜ今なのか。なぜ国民が納得できる説明を十分に行わないままなのか。その判断の根拠が見えてこないのである。
子どもの世界は案外厳しい。約束を破れば信用を失う。もう一度信じてもらうには長い時間がかかる。場合によっては二度と元には戻らない。だから子どもたちは、「ごめんなさい」と言うことと、「信頼を取り戻す」ことが別であることを知っている。ところが政治の世界では、ときどきその当たり前の原則が忘れられているように見える。

今回の組閣を見ていて私が感じたのは、裏金問題への怒りというよりも、政治的責任に対する感覚の鈍さである。
政治が失ったのは金ではない。
国民との約束ではなかったのか。そして、その約束はもう取り戻せたのだろうか。
第2次高市改造内閣の顔ぶれを見ながら、私は小学校時代のあの出来事を思い出さずにはいられなかった。

「NHKニュース」より

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