【今日のタブチ】インドの絵本『わたしは なれる』が教えてくれる〝アンコンシャス・バイアスな〟私のこころ

今日は、「国際女性デー」だ。そして私の娘の高校卒業式だった。だからというわけではないが、これからのこの地球の女性の未来を考えてしまう。
新聞には、インドの絵本「わたしは なれる」が紹介されていた。作者は、25歳のインドの女性、サンギータ・ヨギ氏だ。ヨギ氏は小学小学2年生まで学校に通っていたが、働くことを強いられ、幼くしてランジャスタン州の大家族の家に嫁ぎ、一男三女の母になった。しかし、家事労働の合間に絵を描き続けた。
私はまだ読んでいないが、その絵を見てぜひ読んでみたいと思った。この絵本にはさまざなな女性が登場する。そしてその女性たちが自分のやりたことを主張し、その可能性を示唆する。
「わたしは、女たちがみんな、やりたいことを自由にやれて、なりたいようになれる、そんな絵をかく」
「女たちは、どんなことだってできるし、限界なんてどこにもない」

前向きで〝力強い〟メッセージと〝ポップな〟絵のアンバランスさに、とても魅力を感じた。
同時にこの本を日本で出版する人々の信念も感じた。翻訳を手掛けた小林エリカ氏は、原題の『The Women I Could Be』を『わたしは なれる』と訳した。本当なら、『わたしがなれるかもしれない女性』となるところをあえて、言い切った。また「Woman」も「女性」ではなく「女」と訳した。プライドを持って「女です」と言いたいという意志からだ。
この話を読んで、私は自分のアンコンシャス・バイアスを恥じた。
昔、ネパールにドキュメンタリーの撮影に行ったとき、9歳にもなっていまだに小学校に行かせてもらっていない少女を取材した。ネパールやインドなどの発展途上地域には、今回のヨギ氏のような女性は多い。「女性は勉強なんかしなくていい」「女性は家の働き手だ」といまだに考えている人が多いからだ。この少女の父親もそんなひとりだった。父親が死んだことでやっと彼女は小学校に行けるようになったが、3歳年下の弟と同じ1年生のクラスで勉強していた。
そして私が作り上げたドキュメンタリーは感動的なものになり、多くの反響を得た。だが、このことも「無意識な偏見」だったと今日、ナギ氏の絵本の絵を見て感じたのだ。
「女の子は勉強をさせてもらえない=かわいそう」という無意識な偏見が、必要以上にかわいそうな話を作り上げてしまったのではないか
ナギ氏の絵は現状を嘆いてはいない。だが、その現状と闘い続けている。こんな抵抗の仕方もあるのだ……。私の映像表現は「拙いもの」だったと強く反省させられた。

「東京新聞TokyoWEB」より
(green seed books提供)

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