【今日のタブチ】小学館スキャンダルは、『セクシー田中さん』やフジテレビの問題と地続きだ――すべてを貫く“距離感の危機”
私は、最近の小学館スキャンダルをめぐる一連の報道を追いながら、2年前の『セクシー田中さん』事件を思い出さずにはいられなかった。
今回の小学館の問題は、漫画アプリ「マンガワン」で連載していた漫画家が、北海道の私立通信制高校で“デッサンの非常勤講師”として勤務していた当時、自身の教え子だった女子生徒に約3年間にわたって性加害を続けていたという事実に端を発している。
彼は児童買春・ポルノ禁止法違反(製造=教え子を撮影し児童ポルノを作った罪)で罰金刑を受けていたにもかかわらず、編集部はその経緯を把握したうえで、別名義に切り替えて原作者として再起用していた。
2016年頃から加害は続き、被害者はPTSDを発症し大学に通えなくなるほど深刻な影響を受けていたことが判明している。
2021年の和解協議には、担当編集者がLINEグループに入り、示談金や“口外禁止”を含む条件まで提示していたという。ここには、編集という仕事の範囲を逸脱した“過剰な介入”の構造がある。
その後、小学館は2022年にこの漫画家を「一路一」という新たな名義で新連載『常人仮面』の原作者として起用した。しかし、2026年2月20日、札幌地裁が1,100万円の賠償を命じる判決を下し、SNSで同一人物であることが暴露され、一気に問題が炎上した。
そして著名な漫画家たちが相次いで“引き上げ”を表明する事態となり、小学館漫画賞の贈賞式まで延期される異常事態へと発展した。小学館自身も第三者委員会の設置と内部調査を進める方針を明らかにしている。
私は教員として、教え子への性加害が起こり得たこと自体、到底受け入れ難い。しかし、今日ここでは、性加害そのものではなく、別の“構造的な問題”について考えたい。
それは、作家と編集者の「距離感」の問題だ。
今回の件では、担当編集者が被害者を含む和解交渉に参加し、示談条件にまで関与していた。この“密着のしすぎ”は、独立性を持つべき立場が越境してしまった典型だと感じる。
私は、2年前に「セクシー田中さん」事件で論考を求められ、多くのメディアで発言したとき、問題の根本にあったのは、原作者である芦原妃名子さんとテレビ局・編集側とのコミュニケーション不足だったことを強く指摘した。
あのときはむしろ“距離が遠すぎた”のである。原作者の意図と制作側の方針が齟齬をきたし、脚本・プロットのラリーが延々と続き、芦原さんは疲弊していった。原作者の意図が尊重されず、コミュニケーションが断絶していたことが、あの悲劇につながったと私は考えている。
一方、フジテレビでの中居正広氏をめぐる一連の問題も、第三者委員会によって「業務の延長線上での性暴力」と認定されているが、その背景には、タレントと社員の関係があまりに近く、会合や会食が当たり前のように繰り返されていた組織的な構造があった。ここでも“過密な距離”が問題を悪化させていた。
つまり、今回の小学館問題、2年前の『セクシー田中さん』事件、そしてフジテレビ問題。いずれも、極端な「距離感の誤り」が引き金になっている。断絶しても破綻するし、密着しすぎても破綻する。対極のベクトルに見えて、実は同一線上にある“人災”だ。
私たち現代人は、SNSによって常時接続され、情報が過剰になり、他者との距離の取り方に迷い、過敏になっている。必要以上に近づきすぎるか、逆に距離を置き過ぎてしまうか。その両極端の揺れ幅が広がっているように思える。今回の小学館の件は、単なる編集部の判断ミスではなく、こうした現代社会全体の「距離感の迷子」現象を象徴しているのではないか。
私は、創作の現場でも、メディア制作の現場でも、そして教育の現場でも、距離感というものは、もっと慎重に、もっと丁寧に扱われるべきだと感じている。人間同士が関わる以上、トラブルがゼロにはならない。けれど、今回のような事件が繰り返される背景には、人と人との距離の“調整の失敗”という大きな共通項がある。だからこそ、私はこの事件を、単なる一出版社の不祥事としてではなく、現代社会が抱える“距離感の危機”として捉えたいと思っている。
「TBS NEWS DIG」より


