【今日のタブチ】その一言の“代償”は誰が支払うのか――「文明が滅びる」「働いて働いて」の違和感を放置しない力
今朝のブログは、軽はずみな発言が招く、周囲への影響について記しておきたい。
二つの例から入る。
まず、高市首相の「働いて、働いて……」という発言。このこと自体が、働き方改革やハラスメントの観点から見て問題を孕んでいると私は思う。ところが、自分でそう言っていたはずなのに、今朝のニュースを見れば、予算審議に関しては後ろ向きだというではないか。自民党幹部からは、「官邸側が朝から夕方まで丸一日拘束されるのを嫌がる」という話が出ているという記事もある。「あれ? 自分は身を粉にして働くと宣言しなのではなかったか?」と違和感を抱いた人もいるのではないだろうか。
言葉としては努力や献身を求めながら、制度や予算という現実的な局面では腰が引ける。その落差を、現場で働く人間はどう受け止めればいいのだろうか。少なくとも、空疎な精神論として消費される危うさしか感じない。
もう一つは、トランプ大統領がイランとの紛争に関して、「文明が滅びる」と発言した件だ。驚きを通り越して、怒りがわいてくる。文明を滅ぼすと本気で考えているとしたら、おこがましくもほどがある。文明とは、誰か一人の所有物ではない。
イランの文明史を振り返れば、その言葉がいかに軽薄かは明らかだ。エラム文明、アケメネス朝ペルシア、サーサーン朝へと連なる歴史は、単なる一国家の枠を超え、古代オリエント世界全体に影響を与えてきた。宗教、法、行政、学問、芸術――それらは数千年にわたり、人間が争い、祈り、働き、生き延びる過程で積み重ねられてきたものだ。それは支配者の所有物でも、軍事的な駆け引きの道具でもない。文明とは、人類が血と汗と時間を代償にしてようやく築いてきた、きわめて脆く、しかし取り替えのきかない叡智なのである。
トランプ氏の「文明が滅びる」という一言は、軽はずみな発言の域を超え、脅迫に近い響きを帯びている。その言葉によって、傷つき、振り回され、不安と怒りを募らせる人が生まれ、それが新たな憎しみを生み出していく。その連鎖が始まることを、私は強く危惧している。
ここまでに挙げた二つの発言に共通しているのは、言葉の重みと、その影響範囲への想像力が決定的に欠けている点だ。発言した本人にとっては、その場の思いつきや、強い姿勢を演出するための言葉なのかもしれない。しかし、受け取る側はそうはいかない。
「もっと働け」と言われれば、すでに限界に近い人ほど追い込まれる。
「文明が滅びる」と言われれば、当事国だけでなく、世界のどこかで不安を増幅させる人が必ず出てくる。
英語の cost は、ラテン語 constare に由来する。そこには「それだけの代償を要する」という意味が含まれている。金銭だけでなく、時間や機会の喪失もコストと考えるなら、言葉もまた例外ではない。私は、発言によって社会に生じる不安や憎しみといった非金銭的な負担を、「言葉のコスト」と呼びたい。
そのコストは、往々にして、発言した当人ではなく、立場の弱い人間や、遠くにいる無関係な人間が支払わされる。しかも、その負担は可視化されにくい。だからこそ、似たような言葉が何度でも繰り返される。
働き方改革やハラスメント対策が叫ばれる背景には、言葉によって人が壊れてきた歴史があるはずだ。同じように、国際政治の舞台で放たれる過激な言葉もまた、人々の生活や感情を静かに摩耗させていく。
軽はずみな発言は、単なる失言では済まされない。それは社会に余計な不安を撒き散らし、分断を深め、声を上げる力を奪う。
影響力を持つ立場にいる者ほど、言葉を選ぶ責任がある。そして同時に、その言葉を受け取る側が、違和感を違和感のままに放置しないことも必要だ。
今朝の二つの発言は、そのことを改めて考えさせる材料として、記録しておきたい。
「東京新聞デジタル」より


