【今日のタブチ】Netflix『キリゴ』が“家族を排除した”理由――その呪いはもう「血縁」を必要としていない
この作品を「SNS時代のホラー」として受け取る見方がある。たしかに、その読みは間違ってはいない。
ただ、その理解で止まると、この作品の核心には届かない。
Netflixの『キリゴ』は、祈祷という極めて古い儀式と、スマホアプリという最も現代的な装置を組み合わせたホラーだ。呪いはアプリを通じて拡散し、人は見えない何かに翻弄されていく。一見すれば、いかにも“現代的な寓話”に見える。
しかし見終えた後に残るのは、そうした分かりやすさとは別の種類の違和感だ。
この作品には、ほとんど「家族」が存在しない。
韓国ドラマにおいて「家族」は単なる背景ではない。人物の行動原理であり、葛藤の起点であり、感情の回収装置でもある。韓国ドラマは、むしろ「家族」を過剰なまでに描いてきたジャンルだ。しかし、『キリゴ』は、その前提をほとんど剥ぎ取っている。登場人物たちは誰かの子でも親でもなく、ただ個人として宙に浮いている。関係性はあるとしても、それは友人か、あるいは赤の他人だ。
この“欠落”は偶然ではない。かなり意図的な設計だ。
では、なぜ「家族」の存在を消す必要があるのか。
ここで、祈祷とアプリという組み合わせの意味が実体を持ち始める。従来の呪いは血縁や地縁に強く紐づいていた。家系の因縁、村の伝承、閉じた共同体の中での断絶と継承。だからこそ祈祷は機能したし、介入の余地もあった。
しかし、アプリが媒介となった瞬間、その前提が崩れる。
血縁は必要ない。場所も限定されない。
誰でも触れてしまうし、誰でも巻き込まれる。
この作品の呪いは、「どこに属しているか」ではなく、「たまたま触れたかどうか」で成立している。関係の濃さではなく、関係の軽さによって広がる呪いだ。
だからこそ、家族はむしろ邪魔になる。
特定の誰かとの強い結びつきは、物語に理由を与えてしまう。守るべき対象や、帰る場所が明確になってしまう。しかしそれを消してしまえば、人物は一気に不安定になる。どこにも属さず、何にも守られない状態で、ただ「次にどうするか」だけが問われる。
その状態でアプリに触れたとき、呪いは極めてスムーズに侵入する。
劇中で悪霊が甘くささやく場面がある。「こうしたほうがいい」と、あたかも最適解のように提示してくる。親切で、合理的で、だからこそ抗いにくい。この振る舞いはエコーチェンバーやフィルターバブルといった言葉でも説明はできるが、それだけでは物足りない。
むしろあれは、“主体を持たない言葉”のように見える。
誰が発しているのかは曖昧なのに、妙に説得力がある。責任の所在がないまま、それでも判断を誘導してくる。その言葉に従ったとしても、それが誰の意思だったのかは最後まで分からない。
この構造は、SNSで流通する情報とほとんど同じだ。
誰かの声のように見えて、実際には誰のものでもない。断片的な言葉が組み合わさり、気がつけば自分の判断のように内面化されている。その過程で責任は拡散し、結果だけが残る。
だから、私はこの作品を単純に「SNSは怖い」と読むと、少し焦点がずれると最初に述べたのだ。
これは、「責任の所在が消えたまま増殖するもの」の話だ。
そして、その増殖を可能にしている条件こそが、「家族の不在」なのだと思う。
さらに言えば、登場人物同士の関係の“軽さ”も見逃せない。彼らは比較的容易に協力関係を築き、同時にその関係は驚くほどあっさりと切れる。この接続と切断の速さは、不自然なほどだが、現代的でもある。
深く結びつかない関係ほど、流動性が高い。そして流動性が高いほど、情報は通りやすい。
強い関係は防壁になるが、弱い関係は通路になる。信頼しているわけではないが拒絶もしない、という状態が最も影響を受けやすい。『キリゴ』の人物配置は、その状態を意図的に作り出しているように見える。
ラスト近くに主人公の高校生がつぶやく、「アプリひとつ消すのも大変だな」という台詞も印象に残る。
一見するとただの実感だが、ここにも少しズレがある。この言葉は「消すことができる」という前提に立っている。しかし実際には、消えるのはアプリそのものだけであって、それを通じて形成された関係や記憶や噂は残り続ける。
“消したつもり”になれるだけだ。
その意味でこの作品が不気味なのは、呪いの強さそのものではない。
アプリは人間が作り出したものだから、消せるだろう。呪いも人間から始まっているから溶けるに違いない。そういう“思い込み”が、もう通用しない時代になっている。この作品は、そんな事実を静かに突きつけてくる。気づかないうちに、もう逃れられない場所にいる――そう示しているように見えるのだ。
祈祷という古い装置は、本来そうしたものを断ち切るために存在していた。しかし、その前提である共同体や血縁が解体された状態では、それはもはや十分に機能しない。それでもなお、人はどこかで「消せる」「終わらせられる」と信じている。
その感覚のズレこそが、『キリゴ』に残る違和感であり、単なるホラーで終わらない理由は、そこにある。
「Netflix」公式HPより


