【今日のタブチ】若者の「仕方がない」への違和感―中学生の“反戦平和意識”は本当に低下しているのか

私は4月4日の毎日新聞の書評欄で、丹羽宇一郎氏の『Z世代は戦後初めて銃をとる世代になるかもしれない』を取り上げた。日本に漂う変化への強い危機感があったからだ。
殺傷兵器の輸出に踏み込み、戦車やミサイルまで議論に上る。本来なら越えてはならない領域が、静かに揺らいでいる。
中東では報復攻撃が連鎖し、空港やエネルギー施設が標的となり、市民生活が直撃されている。戦争は遠い出来事ではない。日本も標的になり得る。
そんな現実の中で、当事者である日本の若者は何を感じているのか。
この問いに対する一つの答えが、ひとつの調査に表れている。

中学生の平和意識が変化している。
京都教育大の村上登司文名誉教授が2025年に実施した調査では、「侵略から国を守る正義の戦争」に反対する割合は1997年より約10ポイント減少し、5割弱にとどまった。また「どのような戦争も行うべきではない」も、「少し思う」を含めて初めて8割を割った
このデータを取り上げて、若者たちに「反戦意識の低下」が観られるとするのは早計だ。
着目すべきは、「例外」が入り込んだことである。
戦争は反対だ。しかし、仕方がない場合もある。この「仕方がない」という言葉は、極めて危うい。

戦争は賛成によって始まるのではない。許容によって始まる。
第一次世界大戦前のヨーロッパでも、人々は戦争を望んでいたわけではなかった。それでも「自国を守るためならやむを得ない」という意識が広がり、最終的には反戦勢力ですら祖国防衛を理由に戦争を支持した。
反対が消えたから戦争が起きたのではない。例外が認められたときに、戦争は現実になる。
今回の中学生の変化は、この構造とよく似ている。
彼らは戦争を肯定しているわけではない。むしろ現実を見ている。ウクライナや中東を見れば、「やられたら戦うしかない」と考えるのは自然な流れだ。つまり若者は“右傾化”しているのではない。“現実主義化”しているのだ。
若者にとっての戦争は、「あり得ないもの」から「起こり得るもの」へと変わった。
そのとき、「仕方がない」が生まれる。若者の意識が変わったのではない。社会が提示する現実が変わったのだ。

さらに、戦争の記憶も、その感覚を後押しする。戦争は体験から知識へと変わり、同時に映像として日常に入り込む。そこには“生々しい”「戦う人間」の姿がある。
「戦争はしてはいけない」と「やられたら戦うしかない」。その衝突の中で選ばれる言葉が、「仕方がない」だ
しかし、その言葉は人を無自覚のまま戦争へ近づける。人は戦争に賛成していると思わないまま、戦争を受け入れていく。
本当に怖いのは、戦争に賛成する人が増えることではない。「反対だが仕方がない」と考える人が増えることだ。
そのとき社会は、すでに準備を終えている。
若者が変わったのではない。社会が変わっている。今回の調査に感じる違和感を見過ごしてはならない。

「東京新聞デジタル」より

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