【今日のタブチ】その“不気味な”正体は何か――奈良の宗教法人「神奈我良」と1億4300万円献金が突きつける“制度の限界”
自民党の政党支部に対する献金をめぐり、見過ごせない事例が浮上している。奈良市に拠点を置く宗教法人「神奈我良(かむながら)」が絡む問題だ。2024年、この法人は自民党奈良県第2選挙区支部に3000万円を寄付した。そしてこの支部の同年の寄付総額は約1億4300万円。その中でもこの宗教法人が最大の出し手だった。
まず確認しておくべきことは、この行為自体は違法ではないという点だ。
政治資金規正法は宗教法人による寄付を禁止していない。むしろ「その他の団体」として、前年の経費に応じた範囲で寄付を認めている。3000万円を寄付するには、前年に6000万円以上の経費があることが要件になる。
問題はここからだ。
神奈我良とはどんな宗教法人なのか。
公開情報から見える姿は、きわめて曖昧だ。奈良の住宅地にある神殿を拠点とし、神道系の信仰を掲げているが、信者数や活動規模は外からほとんど確認できない。
さらに指摘されているのは、宗教活動よりもむしろ不動産取引の存在だ。過去には複数の土地・建物の売買を行い、代表が経営する企業グループとの資産移転が確認されている。
こうした構造を前にすると、いくつかの疑問が浮かぶ。不動産取引そのものが資金の出入りを覆い隠す役割を果たしていないのか、あるいは宗教法人として集められた資産——例えば寄進や寄付によって形成された財産——がどのような意思決定プロセスで移転・活用されているのか。もちろん現時点で不正を断定する材料はないが、「見えないままでも成立してしまう仕組み」であること自体が、この問題の核心である。
つまり、表向きは宗教法人でありながら、資金の流れや実態は極めて見えにくい。それにもかかわらず、政治に対しては突出した資金を投じる。このスケールの不一致が、今回の違和感の正体だ。
過去を振り返れば、この「実態の見えない宗教と政治資金の接点」が深刻な社会問題に発展した例は少なくない。オウム真理教は、宗教法人という枠組みの中で活動実態の検証が遅れた末に、社会に取り返しのつかない被害をもたらした。統一教会(旧統一協会)をめぐっても、政治家との関係や多額の資金の流れが長年にわたって問題視されてきた。いずれも共通しているのは、「内部の実態が外から見えにくいまま放置されてきた」点だ。
そしてもう一つ、より重要な問題がある。
「なぜそんな多額の献金をするのか」という核心だ。
通常、宗教法人の収入は信者からの寄付や祭事収入などに依存する。しかしこの法人については、大規模な信者基盤や参拝実態が確認されていない。それでもなお高額の資金を政治に投じられる背景は何なのか。この問いに対して、外部から検証できる材料はほとんど存在しない。
なぜか。
見えないからだ。
宗教法人は財産目録や収支計算書の作成義務があるが、それらは行政に提出されるだけで、一般に公開されない。報道機関が開示を求めても「外部には開示していない」と回答されるケースが実際に起きている。
つまり、法律が要求する「6000万円以上の経費があったのか」という最も重要な点すら、国民も報道も確認できない。
ここで政治資金規正法の建前を思い出したい。この法律は「政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにする」と明記している。
しかし現実はどうか。
監視しようにも、材料がない。
批判しようにも、根拠が見えない。
違法かどうかすら、判断できない。
これを制度と言えるのか。
つまり問題は個別の法人だけではない。
・誰が
・どのような資金で
・なぜ政治を支えているのか
この最も基本的な問いに、制度が答えられない。それ自体が問題だ。
「合法」と「納得」は別物である。
問題は個別の宗教法人ではない。制度そのものだ。
政治資金規正法は「国民の監視」を掲げながら、その監視に必要な情報を国民に与えていない。資金の出所も、規模の妥当性も、外部からは確認できない。
過去のオウム真理教や統一教会の問題が示したのは、「見えない状態」を放置すれば、社会が後追いで被害を認識するしかなくなるという現実だったはずだ。
にもかかわらず、その構造は今回も変わっていない。
神奈我良の献金は、例外ではない。制度の空洞が可視化されたに過ぎない。問われているのは、誰がいくら出したかではない。
「見えないままでも許されるのか」
その一点である。
「週刊文春」より


