【今日のタブチ】フジテレビ問題はなぜ起きたのか――21年前のニッポン放送買収劇から“地続き”だった「力学構造」の歪み
月一の毎日新聞・書評のお知らせである。
今回(本日6月13日掲載)は、亀渕昭信著の『狙われたフジテレビ ニッポン放送元社長が明かすライブドア買収攻防21年目の真相』(小学館新書)を取り上げた。
2024年12月の週刊誌報道に端を発したフジテレビ問題。メディアの存在を揺るがすその騒動は、いったいどこから始まっていたのか。当時、テレビをはじめとしたさまざまなメディアで発言をしていた私としては、読まないわけにはいかない。
今回の書評で私が重視したのは、「出来事の再現」ではなく、「違和感の正体の解像度」である。フジテレビ問題について語る言説は、どうしても“近過去のスキャンダル”として切り取られがちだが、本書はその視点を強引に引き剥がす。1995年のニッポン放送株買収劇という一見遠い出来事を起点に据えることで、現在の混乱が偶発的なものではないことを浮かび上がらせる。
書評では、著者が「当事者であること」の意味も読みどころとして強調した。後講釈の整理された歴史ではなく、意思決定の渦中で何が見えていたのか、何が見えていなかったのか。その不完全さごと提示されるからこそ、単なる記録を超えて「判断の痕跡」として読める。不利や迷いも含めて書き切る姿勢が、本書に独特の信頼性を与えている点は見逃せない。
さらに私は、この本を登場人物たちの単なる「人物評」としてではなく、「構造のドキュメント」として読んだ。日枝久の交渉や経営判断の冷徹さは確かに強い印象を残すが、重要なのはそれを可能にしていた力学そのものだ。ニッポン放送とフジテレビの資本関係のねじれ、放送局という公共性と市場の論理の衝突。この二つがどう絡み合ったのかを押さえない限り、現在の問題の核心には届かない。
そのうえで書評の核に置いたのが、「逆算」という読みである。
読後に残るのは、「あの時すでに帰結は見えていたのではないか」という感覚だ。トップダウン体制の長期化や自浄作用の弱体化といった組織の癖は、一朝一夕に生まれるものではない。それが時間差で噴き出した結果が、2024年の問題として現れたと捉えることで、初めて現在が過去と地続きになる。
また書評では、もう一つ意図的に仕込んだ視点がある。「反実仮想」である。
もしあの買収劇が別の決着を迎えていたらどうなっていたのか。当時は突飛に見えた資本の動きも、いま振り返れば、地上波と配信の融合という現在の潮流を先取りしていた可能性がある。歴史を固定した事実として閉じるのではなく、「分岐し得た未来」として開いて読むことで、見えてくるものがある。
要するに今回の書評で私が狙ったのは、「過去を語る本」の紹介ではない。「いまの違和感を説明できる本」として位置づけ直すことだった。フジテレビ問題を単発の不祥事として処理するのは簡単だが、それでは本質を外す。本書が提示しているのは、メディアが資本とどう関係し、その過程で何を失い、何を見落としていくのかという長い時間の問題である。
だからこそ結論はシンプルになる。
この騒動は新しい出来事ではない。むしろ、見て見ぬふりをしてきた構造が、ようやく表面化したに過ぎない。本書はその時間差を埋め、私たち自身の認識の遅れを問い返してくる。
読者にとっての価値は、事件の“裏話”ではなく、「いま起きていることをどう理解するか」という視点を一段深く更新できる点にある。
https://mainichi.jp/articles/20260613/ddm/015/070/020000c
「Amazon」HPより



