【今日のタブチ】都営バス「あおり運転」事件――「想定していなかった」が一番危ない

東京都営バスの30代の運転手が、運転中に一般車に対してあおり運転を繰り返したとして書類送検されたという記事を読んだ。
記事によると、この運転手は回送中のバスを運転していた際、一般車に対して不要なクラクションを鳴らしたり、パッシングをしたりするなどの行為をしたという。ドライブレコーダーの映像などから発覚し、運転免許は取り消された。
もちろん、驚くべき事件である。しかし、私の目を引いたのは事件そのものではなかった。記事の中で紹介されていた有識者のコメントである。
「公共交通機関の運転手によるあおり運転は、ほとんど想定していない」
私はこの言葉に強い違和感を覚えた。
大学で授業をしていると、私は学生たちによく「想像力を磨きなさい」と話している。なぜか。学生には経験が少ないからである。
社会人になると、さまざまな経験を積む。成功体験も失敗体験も蓄積される。そして人は、その経験をもとに物事を判断するようになる。人間は脳の中にある引き出しを開けながら生きている。過去に似た事例はなかったか。以前はどう対応したか。どのような結果になったか。そうした経験を手掛かりに判断を下していく。
経験は大切である。経験があるからこそ、人は効率的に問題を解決できる。ところが、経験には別の側面もある。
経験を積めば積むほど、人は過去の成功体験や前例に引っ張られる。
「これまでそうだった」「今までは問題なかった」「だから今回も大丈夫だろう」そんな考え方に陥りやすい。
経験は人間の判断を支える一方で、人間の想像力を狭めることもあるのである。

一方、学生には経験が少ない。だから経験の勝負では社会人にかなわない。しかし、学生には、経験豊富な社会人に負けない武器がある。
それが想像力である。
経験という枠組みに縛られていないからこそ、「そんなことも起こるのではないか」「もしそうなったらどうするのか」と考えることができる。私は学生が社会に出た時、経験豊富な人たちに対抗できるとすれば、その力は想像力だと思っている。だから授業でも繰り返し、「想像力を磨け」と伝えている。
今回の都営バスの事件も同じではないだろうか。

私たちは無意識のうちに、「バス運転手はあおり運転などしない」と考えている。公共交通機関を担うプロフェッショナルなのだから、そのような行為はしないはずだと思っている。だから、有識者の口からも「想定していなかった」という言葉が出てくる。しかし、私は、その発想そのものに危うさを感じる。
本当に怖いのは、バス運転手があおり運転をしたことではない。「そんなことは起きない」と思い込むことである。
そう思い込んでしまえば、対策は生まれない。予防もできない。制度も改善されない。そして事件が起きた時には、「特別な人間が起こした特別な出来事」として処理されてしまう。
だが、人間とはそんな単純なものではない。どんな職業の人であっても感情を持っている。どんな立場の人であっても失敗する。どんな組織に属していても、不適切な行動を取る可能性はゼロにならない。
だから社会は、「起きないはずだ」を前提にするのではなく、「起きるかもしれない」を前提に考えなければならないのではないか。

教育も同じである。私は学生たちに経験を積んでほしいと思っている。しかし、経験だけを信じる人間にはなってほしくない。
経験によって視野を広げる人になってほしいのであって、経験によって可能性を狭める人にはなってほしくないのである。
社会が大きく変化する時代だからこそ必要なのは、経験だけではない。経験の外側にある出来事を想像する力である。今回の記事を読みながら、私は改めてそう感じた。

「そんなことは想定していなかった」という言葉こそ、実は私たちが最も警戒しなければならない言葉なのかもしれない。

Voicyではこの論考に関連して、以下のテーマでもっと突っ込んだお話をしています。ぜひお聞きください!
#044 母も私も想定していなかった・・・だから私は学生に想像力を磨けと言う
https://voicy.jp/channel/1027821/8200816

「TBS NEWS DIG」より

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