【今日のタブチ】中道はなぜわずか8か月で分裂したのか――私は「小川淳也はいい人過ぎた」と思う

わずか8か月だった。
今年1月、立憲民主党系と公明党系の議員が合流して誕生した「中道」が、ついに分裂を決めた。立民系は新党へ、公明系は公明党へ戻る。結局、「中道」という看板は歴史の中へ消えてゆくことになった。
新聞やテレビでは、政策の違いや党運営の問題、参院側との調整の失敗などが原因として挙げられている。確かにそれらも理由の一つだろう。だが私は、もっと根本的な問題があったと思っている。
それは、「中道」が分裂したから支持を失ったのではなく、そもそも公明党との合流が発表された時点で、多くの国民の心が離れていたのではないかということだ。

立憲民主党と公明党は、長年にわたり国会で対峙してきた。もちろん政治には再編もあれば離合集散もある。しかし有権者が見ているのは理屈だけではない。
「その主張は本物なのか」「信念は変わっていないのか」という部分である。
実際、選挙期間中から有権者の間には「節操がない」「主張がぶれ過ぎている」という声も少なくなかった。
私は、中道という名前にも違和感があった。中道とは本来、結果として評価されるものであって、自ら名乗るものではない。
保守でもない。リベラルでもない。右でもない。左でもない。そうした曖昧さが最初からつきまとっていた。「私はいい加減ですよ」と言っているようなものだ。
しかも、公明党との合流という「寄らば大樹」の印象を払拭できなかった。
中道という看板を掲げながら、その実態が見えない。何を目指す党なのか、有権者の側に十分伝わらなかった。
だが、私はさらに大きな原因があったと思う。
それは代表だった小川淳也氏である。

誤解してほしくない。私は小川氏を評価している。むしろ好きな政治家の一人だ。
大島新監督のドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』、そして続編の『香川1区』を観れば、そのことはよく分かる。
頭がいい。誠実だ。勉強熱心だ。家族思いでもある。家族からも愛されている。理想も持っている。そして何より人柄がいい。
映画を観た人の多くが、小川氏に好感を抱いたはずだ。
しかし、同時に、ある疑問も抱いたのではないか。なぜ、この人はトップになれないのだろうか、と。映画のタイトルそのものが、その問いを示している。

政治は理想だけでは動かない。理念だけでも動かない。時には妥協が必要になる。時には強引さも必要になる。時には相手を押し切る力も必要になる。組織をまとめるには、論理だけではなく求心力が要る。政治の世界は、ある種の駆け引きの世界でもある。
ところが小川氏には、そうした政治的な迫力が決定的に不足していたように見える。
映画の中の小川氏は、どちらかと言えば優秀な官僚や学者に近い。政治家というよりも、まず誠実な市民として映る。それは美徳である。しかし、巨大な政党を率いるリーダーとしては、必ずしも強みにならない。
有権者は必ずしも「一番いい人」を選ぶわけではない。「この人についていきたい」「この人なら何かを変えてくれる」そう思わせる人物を選ぶ。
極端に言えば、この人に入れれば、私が理想としている社会にしてくれると思う人を選ぶのだ。人柄ではない。
小川氏には誠実さはあった。しかし、その誠実さの上に乗るカリスマ性や突破力が足りなかった。
だから私は、中道の失敗を政策論だけで説明することはできないと思っている。
もちろん政策の不一致もあっただろう。組織運営の問題もあっただろう。だが、それ以上に有権者の心に響く物語を作れなかった。そして、その象徴が小川氏だった。
小川氏は悪い政治家だったのではない。むしろ良い政治家だった。だからこそ皮肉なのである。良い政治家であることと、大きな政治勢力を率いることは同じではない。
『なぜ君は総理大臣になれないのか』というタイトルは、多くの人の胸を打った。だが、今回の中道分裂を見ながら、私は別の問いを思い浮かべてしまった。

なぜ君は中道をまとめられなかったのか。

その答えは、おそらく映画の中に最初から描かれていたのだと思う。

会談に臨む公明党の竹谷とし子代表、中道改革連合の小川淳也代表、立憲民主党の水岡俊一代表
「日刊ゲンダイDIGITAL」より

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