【今日のタブチ】「違和感」という便利な言葉の正体――それでも私は違和感を大切にしたい

私は「違和感」という言葉をあまり使わないようにしている。

最近は、政治でも、テレビでも、SNSでも、何かにつけて「違和感がある」という表現を耳にする。便利な言葉であることは間違いない。何となくおかしいと思ったとき、その感覚を一言で表現できるからだ。
しかし、その便利さゆえに、本来説明しなければならないことまで「違和感」の一言で済まされてしまう危うさも感じている。
だから私は、自分のブログではなるべく使わないようにしている。
だが、正直に言えば、私自身も日々さまざまな出来事に違和感を抱いている。
今朝の新聞を読んでいてもそうだった。
一つは、自民党の新役員人事に関する記事である。新たに国会対策委員長に就任した村井英樹氏は、「日本の首相が国会対策に費やす時間は欧米に比べて格段に長い」とした上で、「ゼロベースで見直した方がいい」という趣旨の発言をしていた。
私はこの考え方に首をかしげた。

なぜ欧米と比較しなければならないのだろうか。

ここは日本である。首相が向き合う相手は日本国民であって、欧米の国民ではない。政治制度も違えば、歴史も違う。国民性も違う。
日本には昔から、相手に対して丁寧に説明し、理解を得ながら物事を進めようとする文化がある。もちろん、それが十分に行われているかどうかは別問題だ。しかし、政治において説明責任を果たそうとすること自体は民主主義の根幹に関わる話である。
それにもかかわらず、「欧米より時間が長いから見直すべきだ」という議論には、どこか本質を見失っているような印象を受ける。
それはまるで、勉強をしていない友人を見て、「あの子もやっていない。だから自分は大丈夫だ」と言っているようなものではないだろうか。比較するのであれば、時間の長短ではなく、その時間によって国民の理解が深まっているのか、政治に対する信頼が高まっているのかを検証すべきだと思う。

もう一つの記事は、防衛産業に対する融資についてである。三菱UFJ銀行が防衛関連企業への融資を検討しているという内容だった。
私は防衛産業への融資そのものを否定するつもりはない。国際情勢が厳しさを増していることも事実であり、安全保障をめぐる環境が大きく変化していることも理解している。しかし、そこで気になったのは、金融機関としての主体的な判断である。
政府がそう言っているから。国策だから。時代の流れだから。そうした理由だけで融資方針が決まるのであれば、私は少し危ういと思う。
安全保障政策は、その時々の政権によって方向性が変わりうる。だからこそ民間企業には、政府とは別の立場から、その政策が本当に妥当なのかを冷静に見つめる役割も求められるはずだ。
もちろん、銀行は慈善事業ではない。収益性や将来性を考慮して判断するのは当然である。しかし、防衛という国家の根幹に関わる分野であればなおさら、単なる市場の論理だけではなく、その政策の正当性や社会的影響についても十分な検討が必要ではないか。
もし十分な議論や検証を経ることなく融資が拡大していくのであれば、それは独立した金融機関の判断というよりも、国策への追随に近いものになってしまう。
そんなことを考えながら記事を読んでいた。

あえて繰り返すが、私は普段「違和感」という言葉をあまり使わない。なぜなら、その言葉だけでは思考が止まってしまうからだ。
本当に大切なのは、「なぜ違和感を抱いたのか」「どこに問題があると感じたのか」を言葉にすることだと思う。
しかし、一方で、違和感そのものを軽視しているわけではない。むしろ逆である。社会の変化も、不祥事の兆候も、政治の問題も、多くの場合、最初は「何かおかしい」という感覚から始まる。違和感とは、思考の出発点である。
それを見逃さないこと。飲み込まずに立ち止まること。そして、その正体を自分の頭で考え続けること。
私は「違和感」という言葉をあまり使わない。だが、違和感を持つことそのものは、とても大切なことだと思っている。

「産経ニュースデジタル」より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です