【今日のタブチ】劇団BLUESTAXI『岸辺のシロー』が浮き彫りにする「古いものは汚い」という危うい思い込み
今日は中野のザ・ポケットで上演中の劇団BLUESTAXI『岸辺のシロー』を観てきた。
普段あまり都心へ出ない私にとって、中野は決して近い場所ではない。移動だけでもそれなりの時間がかかる。しかし、その一日仕事になったとしても、この舞台を見る価値は十分にあった。
何より出演者全員が達者だった。一人ひとりに個性があり、それがしっかりと演出と演者の表現によって出されていた。
劇団側によれば、この作品は古びたアパート「岸辺荘」を舞台に、そこに集う個性豊かな住人たちの出会いと別れ、すれ違いと触れ合いを描く作品であり、「ちょっぴり懐かしくてなんだかあたたかいハートフルコメディ」と位置付けられている。
実際に観劇してみると、その説明に偽りはなかった。派手な事件が次々と起きる作品ではない。しかし、それぞれ事情を抱えた人々がぶつかり合い、支え合い、笑い合う姿がじわじわと心に染み込んでくる。最近の映像作品や舞台には、効率よく物語を進めることを優先した作品も多いが、この舞台には人間をじっくり見つめる時間が流れていた。
だからこそ、終演後に不思議な温かさが残る。そんな作品だった。
なかでも私が長年応援している田村幸士さんの演技に釘付けになった。
これまで私が見てきた田村幸士さんには、どこか父・田村亮さんを思わせるような落ち着きと渋さがあった。静かで重厚。感情を爆発させるというよりも、内面を丁寧に見せるタイプの役柄が多かった印象がある。
ところが今回はまったく違う。今回演じたのは、破産した起業家である。酒に溺れ、見栄を張り、過去の栄光を引きずりながら、それでもどこか憎めない。酔った演技は実に自然で、時に観客の笑いを誘う。突然踊り出す場面では客席が沸く。だが、その笑いの奥には、人生につまずいた人間の哀しさが常に見え隠れする。
滑稽なのに切ない。情けないのに愛おしい。田村幸士さんは、その絶妙なバランスを見事に演じ切っていた。
正直に言えば、「こんな田村幸士さんは初めて見た」と思った。役者としての幅の広さを改めて見せつけられた気がする。
そして舞台を見終わった帰り道、私は数日前に読んだ作家・保阪正康氏のコラムを思い出した。
保阪氏は、小学校高学年の児童からこんな質問を受けたという。
「昭和って汚い時代だったの?」
理由は単純だった。昔の写真を見ると、今より街並みが雑然として見えるからである。商店街には商品がむき出しで並び、路上には灰皿やゴミ箱があり、人々は電車や職場でも平気でたばこを吸っていた。今の子どもたちの感覚からすれば、それは「不潔」に映るのかもしれない。
確かに日本社会は驚くほど清潔になった。コンビニの店頭も整然としている。食品は丁寧に包装される。トイレは世界最高水準と言われる。感染症対策も高度化した。しかし私は、「昭和は汚かった」という表現に違和感を覚える。なぜなら、それは単なる衛生環境の評価では終わらないからだ。
その時代を生きた人々の暮らしや価値観そのものを否定するニュアンスを帯びてしまう。
そして今日観た『岸辺のシロー』は、まさにそのことを考えさせる舞台でもあった。
舞台の中心にある岸辺荘は、お世辞にも新しい建物ではない。効率だけを考えれば、取り壊して近代的なマンションに建て替えた方がいいのかもしれない。だが、そこには人々の人生が積み重なっている。
失敗した人間もいる。夢を諦めきれない人間もいる。孤独な人間もいる。しかし、そうした人々が同じ空間で生きている。
そこに人間社会の豊かさがある。人間の価値は、本来、整理整頓の度合いだけでは測れない。それなのに私は最近、日本社会がある種の「清潔帝国主義」に向かっているような気がしてならない。
清潔であることは良いことだ。衛生的であることも重要だ。しかし、その価値観が行き過ぎると、古いものは悪い、非効率なものは淘汰されるべきだ、整理整頓されていないものは価値がない、そんな発想につながる危険がある。
さらにその先にあるのは、モノだけではない。社会の中の「異質な存在」まで排除しようとする発想である。保阪氏が危惧するように、社会が純粋さや均質さばかりを求めるようになれば、外国人や少数派、価値観の異なる人々に対する不寛容も強まるだろう。
実は『岸辺のシロー』にも、それに通じる場面があった。岸辺荘で暮らす人々を、まるで自分たちとは違う世界の人間であるかのように見下す人物が登場する。
しかし、舞台を見れば分かる。そこにいる人々は決して劣った人間ではない。失敗し、回り道をし、不器用に生きているだけである。
本来、人間社会とはそんなに整然としたものではない。失敗もある。無駄もある。回り道もある。そして、その無駄や回り道の中から文化や創造性が生まれる。
昭和という時代も同じだ。確かに今より不便だった。確かに今より清潔ではなかったかもしれない。しかし、その時代を「汚い」の一言で片付けてしまえば、そこに生きた人々の営みまで切り捨てることになる。
『岸辺のシロー』は、そんな忘れられがちな人間の温度を思い出させてくれる舞台だった。
古いアパート。不器用な住人たち。人生に失敗した男。それでも続いていく日常。
私たちは本当に、そういうものまで「昭和だから」「古いから」と切り捨てていいのだろうか。
中野からの帰り道、そんなことを考え続けていた。
今日のVoicyは、舞台を見てきて考えさせられた「汚いもの」「古いもの」を排他しようとする価値観についてお伝えします!
#095 『岸辺のシロー』が教えてくれた、「昭和は汚い」では切り捨てられないもの
https://voicy.jp/channel/1027821/8369417
『岸辺のシロー』公式Xより



