【今日のタブチ】沖縄知事選動画1.8億回再生が突きつけた現実――「少数派潰し」がもうかる時代の危うさ

沖縄県知事選をめぐる動画投稿について興味深い記事を読んだ。

東京新聞によると、沖縄県知事選関連のユーチューブ動画上位100本を分析した結果、玉城デニー知事を批判する内容が大半を占めていたという。総再生数は1億8000万回を超え、その多くが県外から発信された動画だった。記事では、収益目的で参入した投稿者の存在も指摘されていた。

この記事を読んで、私は選挙そのものより、むしろ現代のネット社会が抱える二つの問題を考えた。

一つは、政治が「もうかるコンテンツ」になったことである。
かつて再生数を集めやすいジャンルといえば芸能ゴシップや事件・事故だった。しかし現在は政治も立派な人気コンテンツになった。政治的主張の正しさとは別に、再生数が伸びれば広告収入が入る。チャンネル登録者も増える。もし投稿者の動機が政治的信念ではなく収益であるならば、そこには選挙や民主主義にとって無視できない問題が生じる。なぜなら、再生数が取れると分かれば誰でも参入できるからだ。
個人だけではない。選挙コンサルタントや広告代理店、マーケティング企業などは、世論分析やターゲティングの技術を持っている。特定の候補者を批判する動画が伸びるのであれば、その種の動画を大量に投入することも理論上は可能になる。
もちろん実際にそうした行為が行われていると断定するつもりはないし、証拠はない。しかし問題は、そうした操作が可能な環境そのものが存在していることだ。
私は以前、このブログで日米地位協定や安全保障問題、原発問題について書いた。これらのテーマにも共通点がある。多数派が形成されやすいのである。
そしてネット空間では、多数派が支持する意見に乗った方が再生数を獲得しやすい。逆に少数派は叩かれやすい。つまり、アルゴリズムが生み出す競争の中では、「少数派潰し」がビジネスとして成立してしまう危険性がある。
玉城氏を批判する。原発反対派を批判する。平和運動を批判する。あるいは逆に保守派を批判する。どちら側であろうと構わない。
重要なのは、そこに正義や真実ではなく、「再生数が取れる」という動機が入り込む余地があることである。再生数を稼げるテーマであれば、誰かの政治的信念など関係なくなる。多数派に乗れば数字が取れる。数字が取れれば収益になる。
だから、さらに同じ内容が量産される。その結果、世の中から少数意見が見えなくなっていく。
私はそこに大きな危険を感じる。

民主主義とは本来、多数決だけで成立するものではない。少数意見にも耳を傾けることで成り立っている。
しかし、アルゴリズムが支配する空間では、多数派はますます可視化され、少数派はますます埋もれていく。そして多くの人が「再生数が多いから正しい」と錯覚する。ここに現代のネット社会の落とし穴がある。
だからこそ二つ目の論点が重要になる。
リテラシー教育である。私は大学における映像教育こそ、その中心的な役割を担うべきだと考えている。中学校や高校での教育ももちろん重要だ。しかし、その年代はまだ周囲の空気や友人関係の影響を強く受けやすい。一方で大学生は、自我が固まり始め、社会へ出る直前の時期にある。有権者でもあり、社会参加の当事者でもある。だから私は大学での教育が極めて重要だと思う。
私が授業の中で学生たちに繰り返し伝えていることがある。
第一に、見えているものがすべてではないということだ。本当に大切な事実は、見えない場所に隠れていることがある。都合が悪いから見えなくされていることすらある。
第二に、物事には必ず裏表があるということだ。長所だけの政策もなければ、短所だけの政策もない。賛成意見にも反対意見にも理由が存在する。
第三に、社会の出来事は単独で起きているわけではないということだ。一見無関係に見える出来事同士が、実は深く結び付いていることは少なくない。
第四に、答えは一つではないということだ。誰かが与えた答えを信じるのではない。自分で考え、自分で探し、自分で答えを作り出す。その力こそが民主主義社会において最も重要な能力だと思う。

沖縄県知事選をめぐる今回の記事は、一地方選挙の話ではない。
政治動画が「おいしいコンテンツ」になった時代の話であり、アルゴリズム社会が少数派を飲み込んでいく危険性の話であり、そして私たちがどのように情報と向き合うべきかという教育の話なのである。
いま必要なのは、何を信じるかではない。なぜその情報が私の目の前に表示されているのかを考える力だ。
その力を養うことこそ、これからの大学教育、そして映像教育に求められる最も重要な使命ではないだろうか。

「東京新聞デジタル」より

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