【今日のタブチ】カラスでもわかる!憲法9条が存在する本当の意味
私は長年、カラスは黄色が苦手だと思い込んでいた。ごみ集積所に黄色いネットがかけられているのを見るたびに、「なるほど、カラス避けなのだな」と疑いもしなかった。ところが、東京新聞の記事を読んで驚いた。
あれはどうやら俗説だったらしい。
記事によれば、カラスは人間と違って色だけで物を認識しているわけではなく、「黄色が嫌いだから近づかない」という説明には科学的根拠がないという。むしろ大切なのは、ごみをしっかり覆うことだというのである。
言われてみれば当然だ。
目玉模様を付ければカラスは怖がると言われてきた。CDなどキラキラしたものをぶら下げれば近寄らないとも言われてきた。しかし、それらも最初の数日は効果があっても、やがてカラスは学習する。
「あれは危険ではない」そう判断すると、平然とごみを突きに来るようになる。そのため東京都荒川区では、目玉模様を複数種類用意し、次々に交換しているという。警戒心を持続させるためだ。
この記事を読んでいて、私はまったく別の記事を思い出した。同じ日の東京新聞別刷りに掲載されていた、学習院大学教授・青井未帆氏の「立ち止まるための9条」という文章である。
青井氏は興味深いことを書いていた。
憲法9条の意義は、単に戦争を放棄することだけではない。軍事的な必要性を理由に、国家や社会が一つの方向へ向かって進もうとするとき、「いや、ちょっと待て。本当にそれでいいのか」と立ち止まるための摩擦を生み出す。その役割にこそ価値があるという。
私はこの指摘に妙に納得してしまった。なぜなら、カラスの記事とまったく同じ構造が見えたからだ。
人間は慣れる。これは極めて厄介な性質である。
最初は驚く。最初は警戒する。最初は疑問を持つ。ところが何度も同じ状況が続くと、やがてそれを当たり前だと思い始める。カラスが目玉模様を見ても平気になるのと同じである。むしろ歴史を振り返れば、多くの社会問題は「慣れ」によって進んできた。
本来なら疑問を持つべきこと。本来なら議論すべきこと。本来なら立ち止まるべきこと。それらが繰り返されるうちに、人々は徐々に感覚を失っていく。だから青井氏は「摩擦」が重要だと言うのだろう。
私は今回の記事を読んでいて、憲法9条の意味を少し違った角度から理解できた気がした。
憲法9条は何かを自動的に止めてくれる魔法の条文ではない。しかし、「本当に必要なのか」「他の選択肢はないのか」と問い続けるきっかけを社会に残している。それはカラス避けの目玉模様に少し似ている。
目玉そのものがカラスを追い払うわけではない。重要なのは、警戒心を失わせないことだ。警戒心が消えれば、カラスはやって来る。疑問を持つ習慣が消えれば、社会もまた一方向へ流れていく。
今回私が面白いと思ったのは、カラス対策の記事と憲法9条の記事が、まったく別の分野でありながら、実は同じことを語っていた点である。
普通なら誰も結び付けない。片方はごみ集積所の話であり、もう片方は憲法論だ。しかし、その間に共通する構造を見いだした瞬間、一気に理解が深まる。
私は大学で学生たちに「想像力を養ってほしい」とよく話している。想像力とは、存在しないものを空想する能力ではない。
一見すると関係のない二つの事象の間に共通点を発見する能力だ。
カラスの記事を読んで憲法9条を考える。憲法9条の記事を読んでカラスを思い出す。そうした発想の往復運動の中から、新しい見方が生まれる。
そして今、私たち自身にも問われている。社会の中で当たり前になっていることに対して、本当に警戒心を失っていないだろうか。カラスが目玉模様に慣れてしまうように、私たちもまた、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」存在になってはいないだろうか。
憲法9条の本当の意味とは、案外そんなところにあるのかもしれない。
今日のVoicyは、日曜の朝、新聞の一面に「カラスは黄色が苦手は誤り」を持ってきた意図は何なのか?その意味を深堀りします!
#096 カラス除けの目玉と憲法9条は、実は同じ役割だった
https://voicy.jp/channel/1027821/8369474
「東京新聞デジタル」より



