【今日のタブチ】なぜ日本はエアコン90%なのに、フランスは25%にとどまるのか――猛暑報道が生み出す“安心を買う社会”
今年もまた、この国は「暑さ」に追い立てられている。ニュースは連日のように「過去最高」「危険な暑さ」「命を守る行動を」と畳みかける。結果として何が起きるか。家電量販店に人が殺到し、エアコンが品薄になり、修理も待たされる。空気を冷やす機械が、いつの間にか不安を冷やす“保険商品”のような顔をしている。
我が家でも、まさにその渦中にいた。今年は例年以上の猛暑になるという報道を受け、現在稼働している5台のうち、10年以上使っている3台を買い替える決断に至った。だが、この決断は一直線ではない。「全部買い替えるほどの金はない」から始まり、「どの部屋を優先するのか」という極めて現実的かつ切実な問題で、夫婦間で真剣な議論が続いた。
結果、最優先は家族が集まるリビング。これは異論なし。次が二階の私の仕事部屋兼寝室。ここが止まると仕事にならないだろうという、妻の実務的かつありがたい判断。そして、できればと後回しになりかけた和室も、以前から「カタカタ音がして眠れない」という問題を抱えていたため、結局は対象に加わった。
問題はここからだった。来年、エアコンの規制が変わるという情報が市場を刺激し、さらに「猛暑」報道が拍車をかけ、明らかに需給が歪んでいる。品薄、納期遅れ、工事待ち。この状況で、万が一の故障時にすぐ対応してもらえないリスクを回避するため、量販店ではなく近所の町の電気屋に頼む判断をした。
ところが見積もりを取って驚いた。総額50万円超。数字を見た瞬間、思考が止まる。だが、ここまで積み上がった「不安」と「必要性」は、簡単には引き返させてくれない。結局、清水の舞台から飛び降りる覚悟で3台を購入。工事は無事に終わり、ひとまず安心したが、財布の中身は涼しくなるどころか、完全に冷えきった。
この一連の騒動を、例えばフランス人はどう見るのか。おそらく「理解不能」と感じる人も多いだろう。日本やアメリカでは住宅のエアコン普及率が約90%に達しているのに対し、フランスは25%前後にとどまる。この差は単なる気候の違いでは説明しきれない。
確かに、フランスは日本ほど湿度が高くない。石造りの住宅は断熱性・蓄熱性が高く、外気の影響を受けにくい構造でもある。さらに歴史的都市では外観規制が厳しく、室外機の設置が容易ではないという制度的要因もある。だが、それだけではこの「4倍近い差」は説明しきれない。
決定的なのは、「暑さに対してどう向き合うか」という社会の態度だ。フランスでは、シャッターを閉める、風を通す、昼は活動を抑え夜に動くといった生活の知恵が前提にある。言い換えれば、“環境に適応する人間”が主語だ。
それに対して日本やアメリカはどうか。“人間に適応する環境”を作る発想が圧倒的に強い。暑ければ冷やす、寒ければ暖める。しかもその精度と快適性を極限まで追求する。ここまでは文明の進歩として理解できる。しかし問題は、その需要が「必要」ではなく「不安」によって増幅されている点にある。
とりわけ日本は、メディアの影響力が強い社会だ。「今年は危険」「例年と違う」「このままでは命に関わる」——こうした言葉は注意喚起としては重要だが、同時に“行動を一方向に誘導する圧力”として作用する。結果として、人々は自ら判断しているつもりで、実は同じ方向に一斉に動いていく。
その結果が、今夏のエアコン狂騒曲だ。需要が集中し、価格が上がり、供給が滞る。そしてさらに「急がないと危ない」という報道が続く。この循環は、ほとんど自己増殖的ですらある。
アメリカもまた、似た構造を持つ。広大な空間を均一に冷やすセントラル空調文化は「快適の標準化」の象徴だが、その前提には「快適でなければならない」という強い規範がある。これは日本にも共有されている。
つまり、エアコン普及率90%という数字は、単なる気候条件の結果ではない。「不快を許容しない社会」と「不安を増幅する情報環境」が作り出した文化的指数と見るべきだ。
ではフランスが優れているのか。そう単純でもない。近年の熱波ではエアコンの必要性が改めて認識され、普及は確実に進んでいる。気候変動が進めば、この差は縮まる可能性も高い。
ただ、それでもなお考えたい。我々は本当にそこまで冷やす必要があるのか。どこまでが「必要」で、どこからが「不安」なのか。
我が家の50万円は、確かに安心を買った。だが同時に、見えない圧力にも金を支払った気がしてならない。
「CNNニュースサイト」より


